敵ではなく味方 - 健康のために腸内マイクロバイオームを利用する

Janet Sasso, Information Scientist, CAS, Rumiana Tenchov, Information Scientist, CAS, Angela Zhou , Manager of Scientific Analysis and Insights, CAS

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昔はただの仮説、今は数百万ドル規模の産業となった腸内マイクロバイオーム

重さ2kgで、人間の平均的な脳より大きい体内の臓器は何でしょうか。 腸内マイクロバイオームは最初に思いつく回答ではないかもしれません。しかし実際には人間の生理と病理に大きな影響を与えることから、「忘れられた臓器」と呼ばれています。

20世紀に遡ると、ノーベル賞を受賞したロシアの微生物学者エリー・メチニコフは、ヨーグルトに含まれる宿主に良い細菌を使って腸内マイクロバイオームを操作して健康を増進し、老化を遅らすとう可能性に初めて着目しました。 この古くからの仮説は、Forbes が2010年代が「マイクロバイオームの10年間」だったと言及したように、数百万ドル規模の産業へと成長しました。 世界におけるヒトのマイクロバイオーム市場は、2023年に2億6900万ドル規模と推定されており、年平均成長率は31.1%で拡大し、2029年には13億7000万ドルに達すると予測されています。

腸内マイクロバイオームの健康への影響

ヒトの腸内には、乳酸菌を含むファーミキューテス門、バクテロイデス門、ビフィズス菌を含む放線菌門、プロテオバクテリア門の4系統の門が存在しています。 ヒトのマイクロバイオータは、消化管と密接な協調関係にあります。消化管の成熟の支援、病原体や毒素に対するバリア機能の提供、免疫システムの発達促進という5つの主要な機能を発揮します。

  1. 消化の促進。
  2. 消化管の成熟の支援。
  3. 病原体と毒素に対するバリア機能の提供。
  4. 免疫系の発達を促進する保護的な役割の提供。
  5. ビタミンBなど必須ビタミンの合成の補助。

腸内マイクロバイオームにコードされた広範な遺伝物質は、さまざまな代謝能力を持つ酵素を合成し、短鎖脂肪酸、胆汁酸、トリプトファンおよびインドール誘導体、神経伝達物質など、宿主の重要な機能を維持することが可能です。

腸内マイクロバイオームに何らかの障害が生じると、消化器系疾患(炎症性腸疾患など)、神経変性疾患、代謝疾患、癌などの病的なプロセスが引き起こされる可能性があります。 具体的には、現在では腸と中枢神経系が腸脳軸(Gut-Brain Axis:GBA)を介してコミュニケーションをしていることが知られており、消化器疾患の多くは、遺伝的・環境的要因によってGBA内の伝達が変化することで発症すると言われています。 GBAは、精神的な健康および消化器系の健康に関連する疾患に向けた、新規の治療薬を開発する上で魅力的な標的です。

腸内マイクロバイオーム研究のトレンド

CASは、腸 / 腸内マイクロバイオーム / マイクロバイオータに関連する25万件以上の科学論文(主にジャーナルと特許)を特定し、そのうち約15,000件が精神の健康と腸の健康の様々な側面に関するものです。 マイクロバイオーム関連文献はここ10年で急激に増加し、1997年から2022年にかけてジャーナル文献は着実に指数関数的増加を示しています(図1)。 特許件数は2004年まで急速に伸びましたが、これは初期の知識の蓄積および特許取得可能な出願への移行に相関していると考えられます。 その後は出願は停滞しています(図1)。

メンタルヘルスと腸の健康における腸内マイクロバイオームの研究に関連した論文の主要概念(合計約4500件)を調べたところ、「免疫」(4000件を超える文献数)と「腸内マイクロバイオーム」(3500件を超える文献数)がこの分野で最も注目されている概念であることが判明しました。 2021年から2022年にかけて最も増加率が高かったのは、「腸と脳の関係」という概念でした(図1)。

トレンドチャート
図1. メンタルヘルスと腸の健康に関連する腸内マイクロバイオーム研究のジャーナルおよび特許の出版傾向。挿入図:マイクロバイオームとプロテオームの年次文献数推移の比較。

腸内マイクロバイオータと精神疾患、代謝・消化器系疾患、心血管・神経変性疾患、各種癌、免疫・自己免疫疾患との間には、相関関係が存在していることが確認されました(図2)。

トレンドチャート
図2. CAS コンテンツコレクションのうち、腸内マイクロバイオーム関連の疾患に関する出版物の分布図。

分析された論文で特に注目のトレンドとなっているのは、マイクロバイオームの構成比が不均衡になり、最終的に病的変化を引き起こすdysbiosis(腸内毒素症)でした。その他にも、うつ病、アルツハイマー病、パーキンソン病、神経変性などがの注目のトピックとなっています(図3)。

トレンドチャート
図3. 2016年~2021年の腸内マイクロバイオーム関連の疾患に関する論文数の推移。 割合は、各疾患の年間論文数を、同時期の同じ疾患の総論文数で正規化して算出したもの。

マイクロバイオーム業界における中心的存在

2022年の報告書では、130社を超えるマイクロバイオーム関連企業が、200を超える、さまざまな開発段階にあるパイプライン治療薬の評価をしていると推定されています。 ジャーナルについては、それを刊行している学術機関の上位は大学および研究機関で、中でもユニバーシティ・カレッジ・コーク、中国科学院、カリフォルニア大学、そしてマクマスター大学などが研究を牽引しています。

特許関連の活動については、大学と医療センターではカリフォルニア大学やジョンズ・ホプキンス大学などが、そして特許譲受人ではアレスメディカルやメルクが上位を占めています(図4)。

マイクロバイオーム研究に対する民間の投資は急成長しており、これによりプレバイオティクス、プロバイオティクス、および腸内マイクロバイオーム全般の臨床的可能性が支えられています。 この業界における年間平均投資額は、2014年~2017年で約20億ドルだったのが、2021年には200億ドル強に増大しています。 この投資データは、バイオティクスと治療領域における将来性に対して、商業的関心が最近高まってきていることを明確に示しています。

積極的に投資を行っている企業で目立っているところとして、フランスのベンチャーキャピタルグループのSeventure Partners社、米国のライフサイエンスイノベーターであるFlagship Pioneering社、英国のバイオテクノロジー企業のMicrobiotica社、スウェーデンのプロバイオティクス企業であるバイオガイア社などがあります。

主要なプレイヤーズ
図4. メンタルヘルスと腸の健康を対象とした腸内マイクロバイオーム研究関連の特許における上位の特許譲受人の企業(A)および大学・病院(B)。

メンタルヘルスと消化器疾患の治療に関する臨床試験の状勢

消化器疾患と精神疾患の両方を対象にしたバイオティクス研究では、完了済および現在進行中の臨床試験のうち、いくつか注目すべきものがあります(表1)。

表1. 消化器系疾患および精神疾患におけるバイオティクスの使用を調査する臨床試験(完了済および進行中)。

対象分野 治療 スポンサー 研究の概要
機能性便秘 糞便溶液上澄み液による大腸内逆行性浣腸 Shengjing Hospital(中国) 小児機能性便秘症に対する大腸内逆行性浣腸と糞便移植(FMT)の有効性と安全性を調べる無作為化臨床試験(NCT05035784)
過敏性腸症候群(IBS) 健康な糞便のマイクロバイオータ Helse Fonna(ノルウェー) FMT治療介入により、2年後と3年後のいずれもIBS症状と疲労感が大幅に減少し、またQOLが向上した(NCT03822299)
  MRx1234 (Blautia hydrogenotrophica)  4D pharma plc フェーズII無作為化臨床試験のデータに基づき、 便秘を伴うIBSと、下痢を伴うIBSの両方でMRx1234使用(8週間投与)の裏付けが得られた (NCT03721107)
  VSL#3 - レンサ球菌、乳酸菌、ビフィズス菌を含む8菌株 Kaplan-Harzfeld Medical Center(イスラエル) PROAGE研究 - 入院中の高齢者にプロバイオティクスを45日間毎日使用した結果、下痢と便秘が大幅に減少し、80歳以上の患者では血清アルブミン、プレアルブミン、タンパク質が大幅に増加した(NCT00794924)
  ビフィズス菌4種と乳酸菌5種、そして連鎖球菌1種を含むマルチストレイン・プロバイオティクスのカプセル Children's Memorial Health Institute(ポーランド) プロバイオティクスを8週間投与した無作為化臨床試験では、下痢が顕著なIBS患者においてIBSの重症度や症状に大幅な改善が見られたこととの関連性が示された(NCT04662957)
精神疾患 ラクトバチルス・カゼイ・シロタ株含有プロバイオティクス飲料 インド医学研究評議会/株式会社ヤクルト 本社 概念実証の無作為化臨床試験により、健康な被験者がプロバイオティクスを4週間摂取した結果、感情的タスクを実施した時の脳活動および機能的結合が微妙に変化しながらも、糞便のマイクロバイオータ組成には大きな影響がなかったことが示された(NCT03615651)
  ラクトバチルス・パラカセイ(Lpc-37®) Chr Hansen(デンマーク) 抑うつ症状(Beck's Depression Inventory [BDI-II]のスコアで20~40と定義)を有する成人を対象に、2種類のプロバイオティクスを12週間投与した場合の有効性を検討するパイロット無作為化臨床試験(NCT05564767)
  ビフィドバクテリウム・アドレセンティスまたはラクトカセイバシラス・ラムノサスLGGとビフィドバクテリウムBB-12の組合せ Chr Hansen(デンマーク) 抑うつ症状(Beck's Depression Inventory [BDI-II]のスコアで20~40と定義)を有する成人を対象に、2種類のプロバイオティクスを12週間投与した場合の有効性を検討するパイロット無作為化臨床試験(NCT05564767)
不眠症 FMTカプセル Third Military Medical University(中国) FMTカプセルを4週間投与することで不眠症患者の睡眠が改善されるかということを調べるのに加え、腸内マイクロバイオームとその代謝物をはじめ、炎症因子、神経伝達物質および末梢血における性ホルモンへの影響を調べるための無作為化臨床試験(NCT05427331)

腸だけにとどまらない、広がるマイクロバイオームの可能性

この10年間で、わたしたちが持っている常在菌とそれが健康に及ぼす影響に対しての考え方は、大きく変化しました。 マイクロバイオーム療法を、消化器系疾患や精神疾患の予防・治療に活用するための研究は盛んに行われており、また製薬会社からの関心も高まっています。 バイオテクノロジー企業と学術機関、そして製薬会社との間の共同研究も、数多く行われています。 そこで今後は、研究テーマが進化していくに従い、さらなる提携が予想されます。 さらに、腸脳軸だけにとどまらず、皮膚科、呼吸器科、腫瘍科、生活習慣病などの分野でも二次市場が発生してきており、これは近々、マイクロバイオームを操作することが、健康を最適化するための根本的な手段として認識されるようになることを示唆しています。