特許の分析を通じて機会を最大化する

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特許分析を通じていかに研究開発の機会を最大化するか

競争が激化している昨今の市場においては、研究開発のチームは、イノベーションを推進させそして時代を先取りする新しい機会を常に模索しています。 ただ、あまりにも情報量が膨大なため、非生産的な研究にリソースを浪費しないよう有望な開発分野を特定するのは困難です。 このような場合、特許の現状分析が大きく役立ちます。

特許の現状分析とは

このプロセスでは、特定の業界や分野における技術の状勢を深く掘り下げ、現在存在している特許等を包括的に理解することを行います。 特許の現状分析とは、特定の研究分野に関連する特許や科学文献の調査を行うことを指します。 過去数年間の開発を調査することによって、新たなトレンドに関する洞察が得られるとともに、新規の機能性材料を求めたり、既存薬をリパーパシングしたり、または新薬を開発したりなど、潜在的な機会を特定できるようになります。 これにより、学術組織や研究開発チームは、努力とリソースを集中すべき領域について、より多くの情報に基づいた決定ができるようになるのです。

特許の現状分析には、特許マッピング、特許引用分析、そして特許ポートフォリオ分析など、いくつかの手法が含まれます。 特許マッピングでは、ひとつの技術分野で出願されたすべての特許を確認できるため、トレンドやパターンを容易に把握することができます。 特許引用分析では、ひとつの特許内における引用を調査することで、アナリストはその技術分野で最も影響力のある特許と中心的存在を特定できるようになります。 そして特許ポートフォリオ分析では、ある企業が出願した特許を分析することにより、特定の技術分野におけるその企業の強みと弱みを把握できます。

つまり、特許の現状分析とは、特定技術を深くまで掘り下げ、隠れたトレンドを明らかにし、そして市場で優位に立つための方法なのです。 では、特許の現状分析の価値と機会を最大化させるためには、どうしたらよいのでしょうか。

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それは適切なツールに早めに投資しておくことから始まる

特許の現状分析における課題は、2つあります。まずはその膨大な情報量。そして、類似した概念を指すのにたくさんの用語が使われていて一貫性がないことです。 これだけ多くの情報がある中、自分の研究に関連するものを絞り込むのには、時間がかかります。 体系化された方法もなく、ただ単独で取り組むとより困難になるだけで、意義ある洞察を導き出すことはほぼ不可能になってしまいます。

そこで、まず自分のアイデアがどれほど重要なのか、そして他者が同じ分野にはたして投資してくることが予想されるのかどうか、そういったことを考慮する必要があります。 その特許をグローバルな規模で出願をするつもりなら、その市場に自信を持って参入できるようにしてくれるような、目的に合致したツールが必要になります。 理想としては、有形無形のアセットに多額の投資を行う前に、特許の現状分析のための信頼できる効率的なツール群があることが望ましいでしょう。 最初からツールを使わないで成功することも可能ですが、それは一般的ではありません。またチャンスを逃したり、情報過多になったり、投資判断を誤ってしまうなどのリスクも発生します。

特許の現状分析に関する最近のWIPOの研究では、情報の質の高さと、その名称に関係なく物質を見つけられることがいかに重要かが指摘されています。 科学関連の研究開発組織の多くが早い段階からCASを利用しているのも、そのためです。初期段階のお客様の中には、社員の正式なオンボーディングの前から、CASのソリューションをご利用いただいているケースもあります。

特許の現状分析に大改革を。適切なツールがあれば、市場トレンドを把握し、そして市場ニーズを予測できる

世界的な状況を確認する際には、精査しなければならない情報はかなりの量に上ります。 市場ニーズを把握するには、最近の開発やイノベーション、そして過去数年間の特許関連の活動を評価する必要があります。 例えば仮に、過去3年間以内に発表された文献を見たところ、自社の研究開発の取り組みやイノベーションを取り巻く特許申請と科学文献の動向に、相当の変化があったことに気付いたとします。 その場合、市場が向かっている方向は明らかであり、どこにイノベーションのギャップがあるのかもわかります。

適切なツールを使用すれば、色々な質問に対する回答が得られるようになります。例えば、市場や研究開発の場では、今何が起きているのか。何が成功しているのか。最近の出来事によって特許の現状がどのように変化したのか。あるいは、具体的な例で言えば、すでに存在していて長い間使用されてきた医薬品で、他の疾患に再利用できるものは何なのか。 こういったことによって、意思決定のスピードが向上し、研究開発ポートフォリオ管理に自信を持てるようになるのです。

例えば、FDAが関節リウマチやアトピー性皮膚炎など複数の疾患の治療薬として承認しているキナーゼ阻害剤が、最近の論文でタウ異常症の調節因子を阻害することが示されたとします。その場合、そのキナーゼ阻害剤(または類似化合物)には、神経変性疾患へのリパーパシング(既存薬再開発)の可能性があるかもしれません。 特許の現状分析を行えば、リパーパシングできる物質を特定したり、誰がすでにそれを研究しているかを知ることができるのです。 包括的な知的財産検索ツールがあれば、より速く、より簡単に、そしてより信頼性をもってこれを行うことができます。

WIPOの最新の報告書では、グリーンテクノロジーの発展に関する洞察は、いつ市場に参入するべきか、そしてどこに隙間がありそうかなどを示していると述べています。 グリーンテクノロジーに関わる特許活動は、過去20年間で飛躍的に伸びています。 風力、水素エネルギー、低公害車両の技術のグローバルな特許出願件数は飛躍的に増加し、5年間は毎年平均して倍増してきています1

CAS コンテンツコレクションTM について
- CASの各ソリューションの根幹になっているのは、人の手で収集・精選された膨大な科学データと特許データです。 特許と文献の記録が詳細な索引で補強されているので、サーチャーは、結果をより明確に見つけだし、そしてそれを理解できるようになっています。

成功の秘訣 - 適切なツールがあれば、競合他社に差をつけ、研究開発の意思決定に役立つ先行指標を特定できる

特許の現状分析は、先行指標を特定し、競合相手の活動を追跡することにより、研究開発チームが一歩先を行くのに役立ちます。 STN IP Protection SuiteTM内のCAS Scientific Patent ExplorerTMなどのツールを使用することで、特許関連の活動を簡単に追跡し、競合する組織を特定できるようになります。 大手製薬企業など、既知の競合相手の結果が得られるだけでなく、小規模のスタートアップ企業や、他の業種または他の地域の市場、そして場合によっては貴組織のイノベーション領域における潜在的な協力相手すら、判明させることができるかもしれません。

競合相手の出願先などの特許関連活動を常に把握しておくことで、研究開発チームは、最新の開発動向について常に情報を得ることができ、また研究努力と投資を集中すべきところについて、戦略的な決定を下すことができます。 例えば、競合他社が英国で出願したことが確認できたとします。貴組織がその地域で出願する予定がなかったのなら、競合相手がなぜ英国で出願しているのか、そして貴組織も英国で出願を検討するべきかどうか、調査が必要であることが分かるわけです。

さらに、その際に適切なツールがあれば、特定の物質に関連する文献について、例えば製剤、特定の成分、そして適応症などの正確な情報を見つけることができます。 それが生物学的物質であろうと化学物質であろうと、特許内で登場しているのなら、CASならその物質の名前を特定し、識別子を提供することができるでしょう。 既知の物質であれば、その物質がどのように公開されたかに関係なく、例えば関連する臨床コード、ラボコード、商品名、一般名、CAS 登録番号®の記録が収載されているのです。

例として「Upadacitinib」を検索すると、たとえ化学構造にしか言及されていなくても、関連する文献がヒットします。 このレベルの精度と関連性は、他のツールでは得られません。 CASは、競合他社がどの物質を研究しているかを正確に特定することができます。たとえ最初に特許で開示されたのが、何百、何千もの物質を表すことのできるただのマルクーシュ構造であったとしても、です。 これは、他の方法では得られない情報です。つまり、CAS STNext® を含むCASソリューションは、医薬品の開発だけでなく、工学、材料、化学など、その他の科学分野の研究開発において、競合他社に先んじるためには欠かせないツールなのです。

まとめ

特許の現状分析は、科学組織や研究開発チームにとって、新たなトレンド、潜在的な機会、そして先行指標を特定できる価値あるツールです。これを活用することで、最終的に努力とリソースをどの領域に集中させるべきかについて、より多くの情報に基づいた意思決定につなげることができます。 早期に適切なツールに投資することは、きわめて重要です。 膨大な情報量と、広範囲で一貫性のない専門用語に圧倒されてしまうと、チャンスを逃し、情報過多になり、投資判断を誤ることになりかねません。

特許の現状分析のためのツールを評価する際は、以下の機能と特徴が決め手となります。

  • 包括的なコンテンツの範囲。 CAS コンテンツコレクションのように、広範囲かつ信頼できる特許・科学情報にアクセスでき、複数の管轄区域の特許および公開科学情報を検索・分析できること。
  • 高度な検索 ブール検索、近接演算子、検索フィルターなどの高度な検索機能により、結果を絞り込んで精度を上げられること。
  • 競合情報分析 関心分野を的確に検索し、有効な特許を確認し、競合や協力関係の可能性がある領域を特定するのに役立つ関連情報を提供できること。
  • 信頼性の高い検索結果 情報を収集し、それを分析または主要ステークホルダーと共有しやすくするためにデータとしてエクスポートできること。

研究開発の機会を最大化させるには、科学組織と研究開発チームは、信頼性が高くそして効率的な特許検索ツールに投資することを検討する必要があります。

CAS Scientific Patent Explorerを使えば、革新的な知的財産に関する洞察をいかに収集できるようになるか、その詳細はこちらをご覧ください。ウェビナーを見る

参考文献

Harrison, C. Analyzing the Green Tech IP Landscape. WIPO Green Webinar Series. 2022年3月。 アクセス日:3月15日

 

(ウェビナー)生物医学における3Dプリンティング - CAS、ハーバード大学、カーネギーメロン大学、トロント大学

Chia-Wei Hsu , Information Scientist | CAS

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長らく待たされてきた3Dプリンティングですが、最近は組織や臓器、カスタマイズされた薬物送達、整形外科、バイオプリンティングなど、患者ケアを再構築する大きな力として台頭してきており、その可能性は計り知れません。 そこで、ハーバード大学とカーネギーメロン大学、そしてトロント大学の専門家の方々に、2023年5月4日のCASウェビナーに参加していただきました。

3Dプリンティング技術は、より正確な薬物送達システムによるオーダーメイド医療の開発だけでなく、機能的人体組織と臓器といった複雑な構造を精密に作製する新たな方法を提供することで、生物医学の分野に革命をもたらす可能性を秘めています。

創傷治癒、皮膚および血管の移植、最先端のナノファブリケーションや、3Dバイオプリンティングの手法を用いて作製された細胞外マトリックスタンパク質の骨格など、最先端の開発状況などを取り上げます。 なぜ生物医学における3Dプリンティングが、薬物送達、植皮、移植、臓器修復、そして将来の治療の形を作り変えるのか、その詳細は最新のInsight Reportで解説します。 

ウェビナーの主なハイライト

今回のディスカッションの導入として、まずChia-Wei Hsu博士により、この新しい科学分野の現状説明がありました。 出版物と知的財産の動向では、4つの重要分野、つまり細胞組織、医薬品、整形外科、そしてバイオプリンティングで急速に革新が進んでいることが示唆されています。 この発展の鍵は、素材研究の増加と革新的な印刷技術であり、それらがこのユニークな可能性の原動力となっています。 合成、無機、そして天然と、各種素材にまたがる新素材の状勢は、進化が続いています。

Shrike Zhang博士
Shrike Zhang博士、ハーバード大学

最初に、Zhang博士により、プリントした構築物内の細胞の生存能力を維持できるクライオバイオプリンティングの技法の話がありました。 印刷は、正確な温度制御がされた凍結プレート上にバイオインクで行われます。 このクライオバイオプリンティング技法を用いることで、異なる細胞とバイオマテリアルでも全体的な細胞の生存率が維持されます。 さらに、凍結プレートにさまざまなノズルを用いることで、筋肉/微小血管ユニットや筋肉/腱ユニットを模倣する各種構築物を作成するという、垂直クライオバイオプリンティングの説明がありました。 クライオバイオプリンティングは、バイオメディカル関連のニーズに対して、将来3Dプリントによる細胞組織工学の短期的および長期的な応用への道を開きます。

Axel Guenther博士
Axel Guenther博士、トロント大学

Günther博士からは、バイオマテリアルシート押出用のマイクロ流体プリントヘッドの紹介と、細胞を載せて構成されたバイオマテリアルシートの例などの話がありました。 さらに、火傷した皮膚にハンドヘルド型の皮膚プリンターでバイオマテリアルシートを貼り付ける様子を披露したほか、皮膚組織のin-situ形成や、動物の皮膚にバイオマテリアルと細胞をin-situに送達する様子なども紹介しました。 このin-situのマイクロ流体プリンティング技巧により、創傷治癒プロセスが促進されることが示されました。

Adam Feinberg博士
Adam Feinberg博士、カーネギーメロン大学

Feinberg博士のプレゼンテーションでは、まずやわらかい素材の3Dバイオプリンティングに関する例がいくつか紹介されました。 博士のプリンティング技巧であるFreeform Reversible Embedding of Suspended Hydrogels (FRESHTM)法についての説明がありました。これにより、人間の心臓弁、マルチスケール血管系、およびヒト心管を構築することができます。 FRESH法では、患者のニーズに応じて、体積筋肉喪失 (VML) の際、高精度に印刷された骨格を作ることができます。 同博士の研究は、さまざまな用途に応じてマルチスケールの血管構築物を作製するという、3Dバイオプリンティングを用いた組織作製がいかに進歩してきたかを示しています。

最新トレンドを発見したり、新たな関連性を特定したり、また3Dプリンティングが患者ケアをどう変容させているのかといった状勢の確認など、3Dプリンティングに関する詳細はInsights Reportをダウンロードしてください。 ウェビナーの動画や関連スライドは、こちらでご覧ください。

RNAでの上位の投資トレンド、そして将来の展望(インフォグラフィック)

CAS Science Team

RNA治療学は、COVID-19ワクチンに留まらず医学分野に革命をもたらしつつあります。がんや感染症から、肝臓・代謝性疾患にいたるまで、その可能性は驚異的です。 では、投資の状勢では今後の成長はどんな方向に向かっているのでしょうか。 この最新インフォグラフィックでは、進化し続けるこの領域における、主要なナノ粒子、新しいタイプのRNA、そして修飾配列の最新の動向やデータを紹介します。 詳細は以下をご覧ください。また、是非SNSでもシェアしてください。

RNA治療学がもたらす医療の変貌に関する最新インフォグラフィック

PEGの免疫原性に関して知っておくべきこと(エクゼクティブサマリー)

CAS Science Team

PRD1 bacteriophage, illustration. Molecular model of the structure of a PRD1 bacteriophage

PEG化は、薬物送達システムを改善する画期的な技術です。ただ、薬剤の有効性や安全性を低下させる免疫反応を引き起こすという欠点も存在します。 研究開発のリーダー向けに作成された本サマリーでは、この課題を克服する方法を簡単に紹介します。 最新の動向と可能性、PEG脂質の構造、LNPの組成と特性、またどの製薬のパラメーターが免疫原性と有効性に影響を与えるか、などをまとめます。 詳細は以下よりどうぞ。また、同僚やお知り合いにも是非シェアしてください。

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PEG化脂質ナノ粒子の完全ガイド

Rumiana Tenchov , Information Scientist, CAS

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ポリエチレングリコールの持つ力

ポリエチレングリコール(PEG)とは、パーソナルケア製品から製剤処方にいたるまで幅広い用途に使用されている、弾力性がある非毒性の親水性ポリマーです。 PEG脂質は、ドキソルビシン、イリノテカン、シスプラチンといった抗がん剤のための製薬脂質ナノ粒子(LNP)をはじめ、低分子干渉RNAパチシランや、ビオンテック社・ファイザー社、モデルナ社などの開発によるメッセンジャーRNAワクチンなどにも広く使用されています。 PEG化された医薬品の修飾は、網状内皮系によるクリアランスの減少、循環時間の延長、薬物動態の改善、そして薬剤の有効性の強化のために広く実施されている方法です。

ところが、研究ではPEG化ナノキャリアに対する予想外の免疫反応が報告されています。 さらに、PEGを含有する多くの製剤に関連して、アナフィラキシーを含む過敏症反応も報告されています。 本記事では、薬物送達の効率に関連して、PEG脂質のさまざまな構造パラメータがLNPの免疫反応および活性にどのように影響するかを探ります。

PEG化タンパク質研究に対する関心の高まり

PEG化タンパク質のグローバル市場は、今後5年間で大幅に拡大し、2028年には21億ドルに達すると推定されています。 このPEGの成長は、世界的ながん罹患率の上昇が主な要因ではあるものの、他の疾患領域においてもこの技術はどんどん採用されるようになっています。

PEG化LNP製剤は、さまざまな疾病や疾患に対する治療法として幅広く研究されており、またCAS コンテンツコレクションTMでも広範囲に取り上げられています。 LNPの応用のほぼ3分の2(64.5%)はがん治療のためで、他にも目立ったものとして抗炎症薬(4.5%)と抗ウイルス薬(3.9%)などがあります(図1)

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図1. 各種疾病および疾患のための薬剤として研究が進んでいるPEG化LNP製剤のCAS コンテンツコレクションにおける内訳。

 

ポリエチレングリコールは、免疫原性が低いとされています。 ところが、特にタンパク質やナノキャリアなどの他の物質と結合した場合、免疫原性反応を引き起こすというエビデンスが増えてきています。 興味深いのは、抗PEG抗体は、PEG化治療薬の全身投与を受けたことのない一般の方の体内にも認められることがあるということです。 さらに、PEG修飾化合物の中には、ポリエチレングリコールに対する抗体をさらに誘導するものがあるため、薬効と安全性に悪影響を及ぼす可能性があるのです。

米国ではこれまでSARS-CoV-2ワクチンのブースター接種が5,000万回以上投与されました。そんな中、PEG化LNPを含むポリエチレングリコールの免疫学的安全性に関していくつかの疑問が生じてきています。 COVID-19ワクチンは、ファイザー/ビオンテック社のもの(Cominarty®)、およびモデルナ社のもの(Spikevax®)のどちらでも、投与直後に少数の人でアナフィラキシーの発生が報告されています(2022年4月現在、100万人あたり2.5~4.7人)。 CAS コンテンツコレクションのデータでは、2021を含む同年までにおいて、PEG脂質とその免疫学的副作用に関連する文献数は年々増加していることが示されています(図2)

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図2. CAS コンテンツコレクションに登録されているPEG脂質の免疫学的副作用(抗PEG抗体産生、accelerated blood clearance(ABC現象)、complement activation-related pseudoallergy(CARPA)など)に関する文献数(特許と特許以外の両方)の年次推移。

PEG化の免疫原性を理解する

Accelerated blood clearance(血中クリアランスの促進、いわゆる「ABC現象」)は、PEG複合体物質で観察される予期せぬ免疫原性反応で、それによりPEG化ナノキャリアの急速なクリアランスが起こります。 ABC現象は連続投与で広く観察されており、その結果PEG複合体物質とナノキャリアの有効性が低下します。

もうひとつの予期せぬ免疫反応として、CARPAと呼ばれる過敏反応があります。これはPEG化ナノキャリアの安全性を著しく低下させ、臨床試験におけるPEG化治療薬の有効性低下との関連性が指摘されています。 CARPA現象は、補体系の活性化により引き起こされる非IgE介在の偽アレルギーと分類されています。

ABC現象やCARPAなど免疫学的に引き起こされる有害事象とPEG化との関連性は、CAS コンテンツコレクションのデータによって裏付けられています。そこでは、これらの有害事象との関連性を示す主要概念はPEG化であることが強調されています(図3)

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図3. CAS コンテンツコレクションにおいて、PEG脂質により誘発される免疫学的有害事象(抗PEG抗体産生、ABC現象、CARPAなど)と関連するとされる主な概念。
 

PEG脂質構造のポリエチレングリコールの部分には、非常に高い親水性、弾力性、そして流動性があります。 PEG脂質の化学構造(図4)は、その要素によってはLNPの安定性向上に寄与する一方、安全性と有効性に影響を及ぼす場合もあります。

  • PEGの長さは、免疫学的な安全性を左右する重要な構造要因です。 その効果は二相性であるようで、長鎖および短鎖いずれのPEG複合体もABC現象を誘発しやすいことが示されています。

  • PEGの長さと同様、PEGの密度(LNP中のPEGの割合)も二相性を示しています。 ただし、PEG密度が低い場合と高い場合の両方で、ABC現象が少なく見られます。

  • PEGの構造の違いも影響を及ぼします。分岐したPEG脂質複合体のほうが、直鎖のPEGよりもLNPに対し高いステルス性があります。

  • PEG粒子鎖に付加された末端官能基も、その免疫原性とクリアランス率に影響を与える要因です。

  • また免疫原性は、大きさと表面電荷などのパラメーターにも影響されます。 例えば、マイナスに帯電したリン脂質からなるPEG化担体は、補体活性化を介して、帯電していない小胞よりも免疫系を強く刺激します。

  • PEGの部分と同様、脂質の疎水性鎖の構造と長さも影響を与えます。ただし免疫原性効果だけでなく、有効性の度合いにも影響を与えます。

  • 特定の脂質アンカーグループを利用することによって(例えばアンカーグループとしてコレステロール)、循環における透過性が長く、そして全身バイオアベイラビリティが高いPEG化LNPが得られます。

  • 脂質結合は、脂質設計と性能における重要なパラメーターです。例えば、カルバメート結合の代わりにエステル結合を用いることで、不安定な小胞の形成が可能になります。

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図4. PEG脂質構造のスキーム。 脂質部分では、最も広く使われているジアルキル疎水性部分の代わりに、コレステロール部分を使用する。

 

医薬品におけるポリエチレングリコールの安全性と効率を強化する

PEG化は、もはや実用的な薬物送達システム開発のための医薬品ナノキャリア修飾の標準になってきているとはいえ、LNPなどナノ医薬品の現在の研究開発においては、鍵となる課題は免疫安全性です。 実際、現在ClinicalTrials.govに登録されているPEG化脂質の安全性を分析する臨床試験は200以上存在しています。これらは主に、各種固形がんにおけるPEG化リポソームドキソルビシン、そしてmRNA SARS-CoV-2 ワクチン(Comirnaty®とSpikevax®)などです。

研究者と臨床医の双方にとって、新規の薬物送達担体を開発する上でも、また最高の治療効果を確保するために投与経路や注射スケジュールを調整する上でも、抗PEG抗体産生が影響を受ける要因を理解することは極めて重要です。

ポリエチレングリコールの免疫原性の問題を解決するために、ポリ(オキサゾリン)、ポリビニルアルコール、ポリ(グリセロール)などさまざまな代替ポリマーが検討されてきました。 それぞれにおいて実証済みの効果が確認されてはいるものの、LNPの薬物動態性能を向上させるという点ではPEGに勝る薬剤は依然として見つかっておらず、またそれらにはそれらで過敏症のリスクも存在しています。 現在は、双性イオンポリマーや親水性ポリマーなど、ポリエチレングリコールのステルス性を模倣する他の代替ポリマーが開発中になっています。

最近の研究を通じて免疫原性の要因の多くが解明されつつあるものの、ナノ医薬品の免疫毒性学は、ナノテクノロジーや免疫学、そして薬学が広く交差する、まだほとんど明らかになっていない研究分野です。 この分野における知識が向上すれば、望ましくない免疫反応も少なく、またPEG化薬剤の安全性と有効性も強化された最適な製剤処方が開発できるようになります。

CASのエグゼクティブサマリー、または詳細な査読付きジャーナルをBioconjugate Chemistryでお読みください。

サステナブルな医療品包装を実現するための5つの方法

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個人から大企業にいたるまで、今日では多くの人々がよりサステナブルな製品やプロセスに切り替える方法を模索しています。 廃棄物を最小限に抑え、リサイクル可能な素材や生分解性素材の使用を優先するための環境に配慮した包装は、私たちの生活の多く部分で新たな常識となっています。 しかし、サステナブルな医療品包装を製造する場合、業界固有の多くの課題に直面することになります。

医療においてサステナビリティを作り出すのに重要な役割を果たしているのは、医療機器メーカーや開業医が使うための包装の選択肢を開発しているプラスチックのメーカーです。 とは言え、医療機器の複雑なニーズに丁寧に対応しながら、同時に革新的な包装ソリューションを設計しなければなりません。そもそも医療品包装でサステナビリティを達成することなど、一体可能なのでしょうか。 答えは、もちろん、です。

1. Reduce, Reuse, Recycle

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医療分野では、サステナビリティを実現させるためには業界固有の課題があります。ただ、従来のサステナブルな方法が十分活用できるところもいくつかあります。 こういったハイテクのビジネスでは、より一般的なサステナビリティの選択肢は見過ごされがちですが、総合的なアプローチの中ではそういったものでも十分役立つのです。

これには、以下の方策が含まれます。

  • 不必要な包装を削減する。これには、必要な包装量を最小限に抑えるために、もっと戦略的なブランディングを行うといったことなども含まれるでしょう。
  • 製品ラインナップの設計にあたり、再利用可能な容器を含めるようにしたり、その再利用を促進させるために「詰め替え」版の製品を提供する。
  • 包装をリサイクル可能な素材や生分解性素材に切り替えることで、埋立廃棄物の量を削減する。

こういった方策には、特にプラスチック業界にとっては利害関係があります。 従来のプラスチックには生分解性がないため、それを使用すると、埋め立てとマイクロプラスチック汚染という両方の側面で汚染を引き起こします。 こうした環境への影響を避けるため、包装の量を減らし、プラスチックの代わりにリサイクル可能な素材や生分解性素材を使おうという動きがあります。 このため、新しいポリマーやリサイクル方法の開発が、プラスチック包装の将来の重要な鍵となっています。

近年の実験では、プラスチック技術で興味深い進歩も見られており、その中にはサステナブルな医療用包装に利用できる可能性のあるものもあります。例えば、

こうした技術的進歩の成功は、コストパフォーマンスとスケーラビリティに大きく依存します。 PET分解のための解重合酵素の利用では、実際この壁にぶつかっています。例えば葉枝堆肥クチナーゼという酵素は、高温で変性するためスケーラビリティに制限があります。 幸い、PETヒドロラーゼ(PETase)などのPET分解スーパー酵素のような新技術の開発により、経済的にも環境的にもサステナブルなスケーラビリティの実現が期待できます。

2. サステナブルな無菌包装の開発

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医療用包装のサステナビリティに対する重要な課題のひとつとして、無菌包装への依存があります。 内容物の無菌性を確保することは、患者の安全にとって最も重要なため、妥協はできません。 包装は、無菌バリアの提供に関するISO規格を満たす必要があります。 このため、成形が容易で完全密封でき、防水で非反応性の無菌環境を実現できるプラスチックが無菌包装に理想的な素材となっています。

残念なことに、こうした包装の多くは使い捨てでリサイクルされないため、膨大な量の廃棄物が発生します。 ドイツの病院で行われた2022年の調査では、1日の患者1人当たりのプラスチック包装の廃棄物は16gにもなりました。 大量に消費されるこの包装用プラスチックは、この分野における技術革新の重要性を浮き彫りにしています。

ただし、無菌用途のサステナブルな医療用包装を開発することの重要性は、なにもプラスチック業界のみが担うわけではありません。 メーカー側もリサイクル可能なプラスチックの使用を推進してきました。しかしリサイクルの取り組みには、こうしたサステナブルな廃棄物の流れを利用しやすくするインフラが不可欠となります。 例えば、手術の開始後に手術室で開封された包装は、感染性医療廃棄物として処理しなければならないことになっています。 リサイクルを実施するには、包装は患者が手術室に入る前に開け、別のゴミ箱に捨てる必要があるわけです。 これは多くの場合実行可能とは言え、そういった習慣を医療従事者が手術室内で推進しなければなりません。

無菌包装は、場合によってはリサイクル性が低いか、または不可能な場合があることから、プラスチックメーカーは可能な限りプラスチック含有量を減らしたり、または代替品を使ったりすることが求められます。 これは、プラスチック包装を必要最小限に制限するか、または以下のようなバイオプラスチックの代替素材を開発することで達成できます。

デンプン 可塑剤を添加した植物デンプンは、可撓性のある包装、またはトレイのように耐用年数が制御可能な固い医薬品包装を製造するのに使用されています。
セルロース 植物由来のセルロースは、実験室や製薬業界で使用される酢酸セルロースを含む、複数のバイオプラスチックの製造に使用されています。
キチン/キトサン 無脊椎動物または酵母から採取され、抗菌性の包装材になるキチンは、脱アセチル化されるとその誘導体であるキトサンになります。
キシラン 植物細胞壁と藻類から抽出されるもので、医薬品包装に使用されています。
 
タンパク質 さまざまな植物や動物を原料とし、側鎖を修飾することで、包装に使われる合成ポリマーになります。

これらの代替バイオプラスチックのトレンド分析によると、過去20年間のジャーナル論文出版と特許では、デンプン由来のバイオプラスチックが最有力候補になっています(下図参照)。 キトサンもますます一般的になってきており、ジャーナル論文出版数と特許件数は増加傾向にあります。 石油由来ではなく、かつ感染性医療廃棄物として燃焼させても有害廃棄物を出さないようなバイオプラスチックの開発は、今後の無菌医療包装において重要な役割を果たすでしょう。

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感染性医療廃棄物として燃焼させても有害廃棄物を出さず、しかも石油由来ではないバイオプラスチックの開発は、今後の無菌医療包装において重要な役割を果たすだろう。

3. 保護梱包材の代替品

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サステナブルな医療用包装の全般的な目的は、その量を可能な限り削減することであるとは言え、デリケートな機器の輸送には通常、大量の保護梱包材が必要です。 デリケートまたは繊細な医療機器は高価で、また時には代替不能なものであることが多いため、安全輸送のための梱包を犠牲にすることはできません。

梱包の量の削減はできないため、ここではサステナブルな素材を戦略的に選択することが必要になってきます。 この用途にはポリスチレンが広範囲に利用されており、その結果埋立廃棄物やマイクロプラスチック汚染を生じさせています。ただし、幸いなことに、サステナブルな梱包オプションは存在し、すでに使用されているため、今後は医療機器メーカーもそれを採用することが考えられます。 梱包は、紙製の気泡緩衝材や細断段ボール、そして生分解性の発泡体など、その大部分をリサイクルされた素材や生分解性素材から作ることができます。

梱包材は主に体積によってその効力を発揮させるため、感染性医療廃棄物汚染の可能性は低く、したがってここでもプラスチック製造における循環性の余地があります。 企業が梱包材を再利用し、大量に出る廃棄物を新しい梱包材にリサイクルする方法を見つけることができれば、プラスチック製梱包材のライフサイクルをよりサステナブルにできます。

それには、医療部門全体で梱包材を再利用する取り組みと、プラスチック製造会社内においても、新しい梱包材を作りながら古い梱包材のリサイクルもできるような仕組みの整備が必要になります。 包装資材のサプライヤーは、自社製品から出る包装資材の廃棄物自体を包装資材にするリサイクルの閉ループを開発することで、サステナビリティを高め、新たな収入源を生み出すことができます。

4. 温度管理輸送での技術革新

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医療業界における包装の目的は、保護だけではありません。 多くの医療用品は、特定の温度が維持されるような包装で輸送する必要があります。 サステナブルではない冷蔵方法や断熱材が幅広く使用されている中、これはサステナブルな医療用包装を実現する上で大きな障壁となっています。

包装・梱包材と同様、断熱包装のサステナビリティも、リサイクル可能な素材や生分解性素材を使用することで向上させることができます。 より効果的な断熱材を開発し、必要な断熱材の総量を削減すれば、さらにサステナビリティを向上させることができます。 したがって、より効果的でより環境に優しい断熱材を製造するための新規ポリマーの開発は、プラスチックメーカーにとって有望な機会となる可能性があります。

段ボールなどのプラスチック代替品や、リサイクル価値の高いプラスチックを使ったサステナブルな断熱材が市場に出始めてはいるものの、医療分野特有のニーズに合わせた高性能でサステナブルな断熱材を開発する余地はまだ残されています。

断熱材とともに、コールドチェーン物流でも温度管理された輸送サービスや冷凍庫の利用が必要になります。 包装の断熱効果が向上すれば、その外での保存可能時間が延長され、エネルギーコストの高い冷蔵への依存を減らせることができます。

5. ライフサイクルのサステナビリティの確保

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サステナブルな医療用包装を実現するには、ある材料の使用の部分だけ取り上げても、それは全体の流れの中の一部でしかありません。 サステナビリティは、素材のライフサイクル全体にわたって確保されなければならないからです。 そこでプラスチックメーカーは、リサイクル可能なポリマーや生分解性ポリマーの開発の際、以下の要因を考慮に入れる必要があります。

  • 原材料の希少性
  • 輸送
  • 製造時のエネルギー消費
  • リサイクルのしやすさ、および副産物

バイオプラスチックでは、一般的には植物由来の代替品が完全にサステナブルであるともてはやされています。 しかし、デンプンやセルロース、キシラン、キチン、そしてタンパク質ベースのポリマーを使用するにあたっては、原材料の供給において、それらがサステナブルかつ再生可能な農法で裏付けられている必要があります。

PLA(ポリ乳酸)プラスチックは植物のデンプンから作られるため、当初は堆肥化可能でカーボンニュートラルなプラスチックの代替品として宣伝されていました。 しかし残念ながらPLAは他の廃棄物と分別し、特別な堆肥化施設に輸送する必要がありました。そこで現実的なPLAのサステナビリティをめぐって急速に批判が高まったのです。 しかも、確かに技術的に見ればこれらの施設でPLAは分解はされるものの、そのプロセスはむしろリサイクルに近く、そのライフサイクルは従来のプラスチックと似たようなものにしかなっていません。

このPLAの事例は、サステナブルな新素材を設計する際、そのライフサイクル全体を考慮することがいかに重要かを浮き彫りにしています。 新しい素材は、実質的なサステナビリティを確保することで、はじめて長期的な価値や人気を確実にすることができるのです。

サステナブルな医療品包装は実現可能なのか

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プラスチックメーカーは、無菌、デリケートまたは温度感性など、医療製品に求められる要件に伴うさまざまな課題を克服しなければならない一方、技術革新には大きな可能性と機会があります。 新しいバイオプラスチック、および新たなプラスチックリサイクル技術を開発することで、サステナブルな医療用包装の未来への扉が開かれます。 そういった技術を、包装ライフサイクルにリサイクルとサステナビリティをもたらそうとしている医療機器メーカーや開業医の取り組みと併せることにより、医療分野における新たな、そしてよりサステナブルな未来が切り開かれるかもしれません。

PEGの免疫原性とワクチンの安全性(Peer-reviewed Journal)

CAS Science Team

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脂質ナノ粒子は、今まで薬物送達の可能性を拡大してきました。以前より新しい薬物送達のメカニズムに貢献してきただけでなく、最近ではCOVID-19ワクチンでも高い評価を得ています。 ただし、負の側面も存在します。つまり、PEG化された脂質ナノ粒子の安全性と有効性を損なう可能性がある免疫反応です。 画期的な新しいRNA治療薬の臨床パイプラインが現在数多く存在している中、これを克服するにはどうしたらよいのでしょうか。 こういったことを含む、さまざまなトレンドや機会または課題について詳しく知るには、Bioconjugate Chemistry誌に掲載された以下の最新の査読付き文献をお読みください。

構造活性相関(SAR)研究の課題と可能性

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Ben R. Taft博士 (Via Nova Therapeutics社、化学部門担当シニアディレクター)との対談

増え続ける知識体系と急速に進化する技術により、創薬業界における変化のスピードはとても速くなっています。 昨日は課題だったものが今日はチャンスに変わり、さらに明日の世界では当たり前のものになったりしています。 この課題と可能性が交差する部分について、創薬のプロフェッショナルにお話を伺いましたので、本シリーズの今回の記事では、それをご紹介します。 大変興味深く、そしてインサイトに満ちた対談です。きっと皆さまのお役に立つことでしょう。

この第1回目では、Via Nova Therapeutics社化学部門担当シニアディレクター、Ben R. Taft博士(以下、Ben)に SAR研究の課題と可能性に関してお話を伺いました。

CAS:この分野に携わるようになってから、SAR研究で体験した最大の変化とは何でしょうか。

Ben:データの世界の変化ですね。 この業界におけるデジタル化への動きは、確実に大きなインパクトがありました。また、それと並行してデータサイエンスも、そしてデータを可視化そして解釈するためのツールも爆発的に登場してきています。 デジタル化によってデータへのアクセスが容易になると、それらのデータを接続させ、他のデータと連結したり関連付けたりするためのツールが開発されるようになり、仕事もより効率的に進められるようになりました。 こういったツールを使うことで、データのトレンドを把握して、従来はできなかった新たな観察をすることができるようになりました。

さらに、それらに加えて、機械学習(ML)や人工知能(AI)においても成長と発展が進んでいます。 これら要素をすべて組み合わせると、データの世界ではとても画期的な事が数多く発生していることが分かります。

CAS:MLについて言及いただきありがとうございます。最近本当によく耳にしますが、 AIとMLは、創薬やSARにどのような影響を与えているのでしょうか。

Ben:実際には、この分野はまだ始まったばかりだと思っています。でもすでに構造予測や最適化で影響が表れています。 私はこの分野の専門家ではありませんが、自分が理解している範囲では、非常に単純なレベルにおいて、MLは大規模なデータセットがあるときに最も大きな効果を発揮します。 トレンドや洞察を見つけるにあたり、人の手で整理するには膨大で複雑すぎるデータセットであっても、MLならすばやくそして効率的に解析できるので便利です。 例えば、適切な種類のデータが十分にあれば、溶解度や酵素の生理活性といったことなどを予測することで、新しい構造の設計に役立つモデルを構築することができます。

データセットが膨大すぎて人の手で解析できない例としては、DNAコード化ライブラリーを使用した生物活性スクリーニングが挙げられます。 DNAコード化ライブラリーのスクリーニングを使うと、結果的に数十億のデータポイントが生成されます。そのデータを独自のカスタムMLアルゴリズムでソートして、合成し再試験するのに最適な構造を予測するわけです。

ただし、そしてこれはこの分野を専門とする同僚が繰り返し私に言うことですが、どんなMLやAIのプロジェクトの結果も、結局そのプロジェクトに投入されるデータの質に左右されるのです。 モデルの品質、および実環境で使える予測を行う能力は結局、そのデータセットのサイズ、そしてデータの範囲と多様性に大きく依存しています。

CAS:AIとMLを使用するメリットは何でしょうか。 仕事が速くなるだけでしょうか、それとも質も向上すると思いますか。

Ben:効率化だけでなく、他の方法では予測できない新しい構造の発見や、見落としがないようにする上でも役立っていると思います。 こんな風に考えてみてください。 典型的なプロジェクトでは、類似薬の物理的、化学的、生物学的特性をすべて微調整しながら化合物を組み合わせ、そして新薬候補が決まるまでには、結局200から2,000種類の類似薬を合成することになります。 そしてそれぞれの化合物には、10~50個のデータが関連付けられるのです。これは膨大なデータです。

確かに、データを可視化するための優れたツールはあり、それによってさまざまなトレンドや閾値、そして活性の崖 (activity cliff) を確認することはできます。しかしそれでも人為的な誤りや何かを見逃してしまう可能性は存在します。 そんな中、AIとMLなら、モデルが特定の傾向または観察に基づいて優先すべき化合物を提案し、科学者の支援を行ってくれます。 そこから追加のデータが供給されるので、より効率的に意思決定を行えるようになるのです。

とは言え、最後は我々が新しい化合物を実際に合成して、本当のデータを自分で収集しなければ最終的な判断はできません。

私が思うに、ここで期待されているのは、今までのように200〜2,000種の新規化合物を作らなくても、すべての可能性の中からせいぜい20〜30種の化合物を作るだけで候補薬が見つかるようになる、という感じではないでしょうか。 ただ、残念なことにそれは、まだまだ先の事なのです。

CAS:AIとMLはまだまだこれからだとしても、現時点では創薬化学者にとってどんな役割を果たせるでしょうか。

Ben:私は、それらは創薬研究者の道具箱に加わった、色々ある中の単なる新たな道具、という認識で捉えています。結局、私たちの研究はとても複雑で、またニュアンスにあふれています。試験管内の研究をヒト向けの薬剤にしていくことは、あまりに不確定な部分が多いのです。だからAIが化学者の仕事を奪うことは、すぐには起こらないと思っています。 ありとあらゆる安全性や毒性試験を、さまざまな種類の動物を対象とした前臨床試験で行ってからでないと、その化合物をヒトへ投与することを検討することすらできません。それは、現在どんなにたくさんのデータやソフトウェアや技術があったとしても、ヒトに対する安全性の結果を予測する最良の方法は、まだ結局こういった研究だからなのです。

現在のAIとMLのツールは、創薬の研究を支援しており、そしてさらなる洞察をもたらす存在だということです。

CAS:では今度は、バーチャルな世界から現実のラボに視点を移したいと思います。 低分子の創薬において、最大のボトルネックになっているのは何でしょうか。

Ben:どこもかしこもボトルネックだらけですね。 特に大きいのは、新規化合物の合成です。リード最適化の際、各構造に対して数百、時には数千の新規の類似化合物を合成する必要があります。 類似化合物の合成にはそれぞれ数週間ほどかかる場合もあるため、科学者がこれらの作業を互いに調整する時間も含めると、膨大な時間と経費がかかります。

その上、類似化合物が得られたら、それを数十種類のアッセイにかけてデータを収集し、先ほどお話した解析を開始する必要があります。

CAS:このボトルネックに対する良い解決策はありますか。

Ben:私が期待している技術のひとつは、マイクロスケール化学のプラットフォームです。 マイクロスケール化学のプラットフォームでは、最先端のロボットとソフトウェアを活用し、プレートで数十から数百の新薬分子を並行して迅速に合成そして精製することができます。 このプラットフォームは、理論的には設計、合成、テスト、解析、そして再設計という周期を従来の方法より大幅に速くすることを可能にし、そしてより多くのデータをより速く生成することができます。 最適な類似化合物をより速く特定し、そしてより速く意思決定できるようになることが期待されています。

私は、MLおよびAIのプラットフォームが生成するような計算・予測されたデータではなく、本当のデータが生成されるという点が気に入っています。 研究対象にする類似化合物の優先順位を決めるとかではなく、実際の実験を完了させて、今決断をすることができるのです。

Ben:予測データと実験データ、というこの議論は、テクノロジーに対して私が言いたいことを提起してくれます。この業界に長年いることによって分かってきた事として、まあこれは単に科学者であるという事だけでも感じるものなのですが、私たちはさまざまな技術やいろいろな戦略について、多くの時間を割いて議論しているわけです。 これらのさまざまな技術はそれぞれが非常に優れたツールですが、そのひとつの技術または戦略が、あらゆるプロジェクトに適用されるという状況は目にしたことがありません。

真に優秀な創薬科学者になるには、さまざまな技術やツール、戦略すべてに精通し、そしてプロジェクトごとにその適合性を評価できるようになっている必要があります。 個々の医薬品の研究開発プロジェクトには、それぞれ他と状況が異なる注意点や相違点が必ず存在するものです。

例えば、AIはすべてのプロジェクトで有用なわけではありません。 評価しなければならないことは数多くあります。標的、薬剤の製品概要、疾患、患者集団、薬剤の投与方法、投与部位、といった具合です。しかも、これらの異なる要素が各プロジェクトに影響するため、それぞれのプロジェクトが独自で異なったものになります。 AIのような単一のツールが、すべてのプロジェクトに必ず適した解決策にはなるとは限らないのです。

CAS:そのプロジェクトに適した技術を選ぶべきだというのは、素晴らしいご指摘です! さて、では今度は、創薬全般でご意見をお伺いしたいと思います。まずは小分子からお聞きします。 小分子薬を開発するのは、なぜでしょうか。 現在、タンパク質と抗体治療学があります。細胞と遺伝子治療学もあります。抗体薬物複合体やアンチセンスのオリゴヌクレオチドなどもあります。低分子はどのような位置づけになるのでしょうか。

Ben:よくぞ聞いてくれました。これこそ、先ほどお話したことなのです。つまり、目的に合った技術が必要であるということ、そしてすべてに対応できる万能な解決策はない、ということです。抗体には、優れているところがありますよね。 血漿中での半減期が非常に長いため、1か月に1回の投与で済むほか、標的結合能力も非常に効率的です。 しかし、制約もあります。製造コストがとても高く、安定化が難しく、流通にも課題があるほか、投与には注射が必要であり、それは理想的な方法とは言えないといった点です。 最後に、そしてこれは最も重要なことかもしれませんが、科学的な面では、独自に設計または開発されたものでない限り、抗体は細胞膜をあまり超えることはないということです。 つまり、細胞内または膜内の生物学的標的は、細胞膜または組織を超えて広がっていない限り、標的にはできないのです。

これは、おそらく小分子と一般的な生物学的製剤の最大の差別化要因と言えるでしょう。小分子では、どのような組織にも、どのような細胞区画にも入り込めるように特性を最適化できます。 さらに、これと並行して、ADMEまたはDMPKの特性を最適化することで、経口錠またはカプセルとして投与できます。これは、患者さんが最も好む服薬方法なのです。

また、小分子は一般的に製造コストが安く、保存性、安定性に優れ、流通面での利便性も高いのが特徴です。

ただ、ここでもまた、状況次第では細胞治療や放射性医薬品、あるいはCRISPRといった生物学的製剤や新しい治療モダリティのほうが薬剤研究プログラムにふさわしい場合もあります。

現在市場に登場しつつある技術や、開発中の技術はたくさんあります。しかしそのどれをとっても、あらゆる創薬プロジェクトに適用できるようなものはありません。

CAS:創薬プロジェクトに関してお伺いします。Via Nova Therapeutics社では、現在どのような任務についおられるのでしょうか。

Ben:はい。 現在私どもは、大手製薬会社が焦点を当てていないものの、重要性のあるウイルス性疾患に取り組んでいます。Via Novaは、Don GanemとKelly Wongによりノバルティスから独立した会社です。 その際、すでに開始されていたプログラムを継続させるだけでなく、新しい研究分野に取り組んで、大手製薬会社が十分に資金投資できていないウイルス性疾患に焦点を当てたいと考えました。

大手製薬会社は通常、肝炎やHIVのような慢性疾患でない限り、ウイルス性疾患にはあまり力を入れて開発しません。 ところが、この領域にはアンメットニーズが数多く存在しています。 COVIDは、そのことを大きく意識させるものでした。 Via Novaでは、急性と亜急性のウイルス性疾患に取り組んでいます。これはBKポリオマウイルスなど、多くの場合治療法がありません。

CAS:では、最後の質問です。創薬プロセスにおいて、望みを何でも解決できる魔法の杖があるとしたら、 何を解決したいですか。

Ben:創薬業界の最大の問題点は、実際は二重の問題だと思っています。第一に、一般の人は、薬がどのように発見され、新薬の開発にどれだけの時間、労力、費用がかかるかをよく理解していません。そこで、生物薬剤業界に関する透明性、そして周知。それが改善されれば、すべての人にとって有益になります。

第二に、創薬や開発研究は基本的にすべて民間資金であるため、資金の供給方法の枠組みがやや限定的になっていると思います。 資金は投資や金融の世界から出ています。つまり、資本主義に基づいて提供されているわけです。 資金協力が最も多いプロジェクトが患者にとって最も重要であるとは限りません。最も利益が上がる可能性が高いと判断されたものが最も重要になります。 こういった判断は結局科学的なレベルにまで影響を及ぼします。現在薬が存在しない病気に対して、ある科学者が、それを完全に治せるような新薬に関する素晴らしいアイデアを思いついたとします。 しかし、その疾患の患者数が世界的に少なければ、それは有効なビジネス戦略とはならず、資金的な支援は受けられないでしょう。

こういった医学研究や創薬研究の優先順位や資金提供の問題は、どの病気を優先するのかといった事や、薬の価格に対して、長期的に何らかの負の影響を及ぼすと思っています。 この業界における資金調達のあり方や資金調達の難しさについて、より一般的な周知そして教育がなされれば、この問題の解決方法について考える人々の層が広がり、そしてそうなれば、政府や社会的資金源による研究資金の調達を実現するためにどうするべきかという点で、新しいアイデアや新しいモデルも生まれることでしょう。 

そもそも、私は病気を治癒または治療できる薬を開発するために創薬に携わりました。 私たちは、最も利益を生む薬だけではなく、患者さんが必要としている薬を必ず作れるように取り組むべきなのだと思っています。

Ben has been working as a medicinal chemist since 2011. After completing his postdoc, he joined Novartis, where he conducted discovery-phase research for oncology indications. While at Novartis, he transitioned to infectious disease drug discovery. He then joined Via Nova Therapeutics, a Novartis antiviral spinout founded by Don Ganem and Kelly Wong, when Novartis exited the infectious disease space.
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