ナレッジグラフで加速するCOVID-19の治療

CAS Science Team

Knowledge Graphs in Covid-19 therapy white paper thumbnail

パンデミックが発生したとき、医薬品の転用は、迅速に治療法を開発するための重要な手段になります。 ただし、新しいタンパク質や新しいウイルス、標的、経路および臨床情報など重要な情報と関連性をすべて集めることは困難な場合があります。 CASは、世界中の科学界との接点を活用し、新しいナレッジグラフを作成することで、COVID-19治療に転用するための臨床候補の上位を特定しています。

生物医学ナレッジグラフホワイトペーパーのカバー

この無料のCAS insights Reportでは、CAS生物医学ナレッジグラフについて詳しく説明し、それを利用することにより、いかにCOVID-19のための創薬という、現実の問題に対する解決策を提供できるようになったかを解説します。

ナレッジグラフを活用してCOVID-19の創薬に役立てる

Jacob Al-Saleem , Senior Data Scientist

CAS Biomedical Knowledge Graph thumbnail image

新しいCOVID-19治療薬の開発機会の加速

現在のところ、COVID-19の治療に承認された治療法はごくわずかです。新しい治療法の開発には何十年、そして数十億ドルかかることがあるわけですが、それなら既存の薬を新しい治療法に転用する機会はあるでしょうか? 最新のCAS Insights Reportでは、新しい関連性や洞察を明らかにすることで、CASナレッジグラフがいかにして転用の可能性のある医薬品を特定できるかを解説しています。

医薬品の転用は、素早く治療法を開発するための重要な手段です。 ただ、新しいタンパク質やウイルス、標的、経路および臨床情報など重要な情報と関連性をすべて集めることは困難な場合があります。 そんなときは、CASナレッジグラフによって、COVID-19治療に転用できる臨床候補の上位を特定することができます。

ナレッジグラフとは

ナレッジグラフでは、さまざまなソースのデータを組み合わせ、特定の領域をモデル化します。 データは、ノードとエッジとして記述されます。 ノードはデータの各ポイントを表し、そしてエッジはノード間の関係を表します。 以下の画像は、簡略化されたナレッジグラフの例です。どんな薬が血管の炎症を抑制する可能性があるかを予測しています。

データの関連性ノードとエッジを示すCASナレッジグラフ

図1 . ノードとエッジを使ってデータ間の関連性を示しているナレッジグラフの例


従来のデータベースだと表示されるのは直接関連性(転写因子STAT3の直接阻害剤)のみでしたが、ナレッジグラフだと、より深いデータの関連性まで表示できます。 この例では、ナレッジグラフでは経路のさらに下流で作用する阻害剤まで示されています。

COVID-19を掘り下げる - 小分子創薬

CAS生物医学ナレッジグラフは、人間のキュレーションによるCASコンテンツコレクションTMのデータと、一般公開されている生物医学データとを組み合わせます。

その結果、600万件を超える小分子をはじめ、24,000件の疾患および26,000件のヒトおよびウイルス遺伝子からなる高品質データが含まれています。 ナレッジグラフなら、従来の調査方法では不可能だった洞察が得られるようになります。

CASのアプローチには、COVID-19の潜在的な薬剤候補を明らかにするために、2つの中核的な要素が含まれています。

  • CASの科学者は、COVID-19に関連する20の生物学的プロセスを特定しました。 血液凝固、ウイルス侵入およびエンドサイトーシスなどのプロセスです。 そこで、例えばある疾患ノードは、重度のCOVID-19の病理の重要な側面である「サイトカインストーム」を表している、と言った具合になるわけです。
  • 文献での遺伝子発現における変化にも注目します。具体的には、SARS-CoV-2感染によって大幅に上方制御された遺伝子です。 関連する生物学的プロセスと、これらの遺伝子の4つ以上に関連する生物学的プロセスを特定するためにこれらが使用されました。 このプロセスには、炎症反応、血管新生およびRNA転写の負の調節が含まれます。
CASナレッジグラフの作成に使用されるデータ要素

図2 COVID-19治療薬の潜在的な小分子薬候補を特定するための2成分アプローチの概要図

ナレッジグラフで、以下が特定されました。

  • これらの生物学的プロセスとの関係を阻害または活性化する小分子
  • 上方制御された遺伝子を阻害する小分子

こういった分析により、COVID-19の治療薬への転用の可能性がある小分子が1,350個特定されました。

COVID-19の治療薬の新たな可能性の評価

可能性がある分子が特定されたら、その関連性の強さを評価し、それに応じてスコアに加算しました。 これを実行するために、各分子をランク付けするための新しいアルゴリズム手法を使用しました。 この式では、小分子間の関連性と、2成分アプローチで特定された遺伝子と生物学的プロセスとの相互作用とを評価しました。

たとえば、サイトカインストームは重要な関連性であると考えられていました。 そこで、まず小分子間の関連性と、2成分アプローチで特定された遺伝子と生物学的プロセスとの相互作用とを評価しました。 そしてその際、サイトカインストームなどの重要な関連性とその発生の希少性を考慮して、遺伝子と活性化関係にある小分子に対し、そのスコアの上方修正が行われました。

このようにして、すべての小分子を順位付けした表が作成されました。CASホワイトペーパーでは、上位50までを掲載しています。 以下の図2では、その結果よりスコア上位10の候補薬が表示されています。 ノードの大きさは、他のノードへの関連性の数に対応しています。

COVID-19治療の候補薬上位10を記載したナレッジグラフのネットワーク図
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図3 結果のスコア上位10の候補薬との関連性を示すネットワーク図。ノードの大きさは、他のノードへの関連性の数に対応している。

順位表にて特定されている上位50の候補薬のうち、11は現在COVID-19治療のために臨床試験中です。 これは今回の弊社結果の妥当性を表しています。

この生物医学ナレッジグラフでは、以前SARS-CoV-2または一般的なウイルス感染メカニズムに関連付けられていた4つの薬剤クラスが明らかになっています。 それら4つの薬剤クラスは以下のとおりです。

キナーゼ阻害剤

これは今回の結果で見つかった薬剤クラスでは、最大のものでした。 キナーゼはほとんどすべての生物学的プロセスに関与しており、その活性は多くの病気で調節不全になっています。 受容体型チロシンキナーゼ(RTK)は、多くのウイルスの細胞侵入に関与しています。 同定されたキナーゼ阻害剤は、EGF、FGF、PDGF、ALK受容体などのRTKに影響を与えるもの、およびBrutonチロシンキナーゼなどの非受容体型チロシンキナーゼなどでした。 受容体B-RAF、PKC、PIMおよびGSK-2betaを標的とするセリン-トレオニンキナーゼ阻害剤も、このナレッジグラフによって特定されました。

ヒストンデアセチラーゼ阻害剤(HDI)

HDIは、ヒストン脱アセチル化を減らすことで遺伝子発現を調節します。 HDIは、SARS-CoV-2の主要な細胞表面受容体であるアンジオテンシン変換酵素2(ACE2)と、既知のCOVID-19リスク因子であり、血液型の決定にも関与する酵素であるABOグリコシルトランスフェラーゼの両方の発現を低下させます。 HDIは、COVID-19の免疫反応に関与するケモカインとサイトカインのいくつかも調整します。よって、今回の結果にそれらが含まれていることは論理的です。

微小管調節剤

微小管は、チューブリンサブユニットで構成される微細線維です。 研究によると、SARS-CoV-2タンパク質は微小管または微小管関連タンパク質と相互作用することがわかっています。 弊社の結果では、ドセタキセル、コルヒチン、メベンダゾールなどの微小管調節剤が、SARS-CoV-2感染の阻害に役立つ可能性があることが明らかになりました。 コルヒチンはすでにCOVID-19感染患者の治療に向けた臨床試験中になっています。

プロテアーゼ阻害剤

同定されたプロテアーゼ阻害剤のうち、そのほとんどは、プロテアソーム阻害剤でした。 研究によると、ユビキチン-プロテアソーム系は、コロナウイルスに関連する疾患を含め、ウイルス複製とサイトカインストームに関与していることが示されています。 COVID-19との関連でプロテアーゼ阻害剤を探索するのは、論理的な選択です。 確かに、それら阻害剤のいくつかは、COVID-19治療薬としてすでに調査中になっています。 今回の結果にも、ボルテゾミブ、カルフィルゾミブ、サクサグリプチンなど、そのいくつかが含まれています。


関連性の力

CASのナレッジグラフを支える方法論は、COVID-19の治療法の候補薬同定に役立つほか、アルツハイマー病やパーキンソン病、自己免疫疾患、癌、さらには難病など、COVID-19以外の他の疾患での薬剤発見に大きな価値をもたらします。 弊社のナレッジグラフはスケーラブルそしてモジュラーでもあり、化学、栄養、再生可能エネルギーなど、科学のすべての分野に大きな価値を提供します。 そこには膨大な機会が広がっています。

脂質ナノ粒子 - がん治療で果たす重要な役割

Rumiana Tenchov , Information Scientist, CAS

Use of lipid nanoparticles in cancer therapy

汎用性に優れた高度な薬物送達システム、脂質ナノ粒子

1960年代に第一世代のリポソームが発見されて以来、脂質ナノ粒子(LNP)は驚異的な進化を遂げてきました。 LNPの主な治療学的用途は製薬業界においてですが、医用画像、化粧品、栄養、そして農業など、他の分野でも小規模ながら役立っています。  

脂質ナノ粒子は、製薬業界では数十年にわたって広く使用されてきました。 他の遺伝子やワクチンの送達システムと比べると製造が容易で、免疫原性が低く、より大きな負荷量を運べるため、低分子、タンパク質、そして核酸などさまざまな種類の治療薬の効率的な担体として成功しています。  

最近、脂質ナノ粒子は、承認された2つのCOVID mRNAワクチンにおいて、mRNAの正確な送達を効果的に補助したことから、ワクチンプラットフォームにおける最先端技術として世界的に脚光を浴びるようになりました。 mRNA治療薬以外にも、脂質ナノ粒子は他の疾患領域で重要な役割を果たすことができます。 実際、すでに多くの脂質ナノ粒子が、さまざまな疾患の治療薬を送達する目的で認可されています(図1)。 ここでは、抗腫瘍治療における脂質ナノ粒子の使用について簡単に説明します。 

認可された脂質ナノ粒子医薬品と対象となる疾患
図1:認可された脂質ナノ粒子医薬品とその対象疾患


脂質ナノ粒子のがん治療への応用


CAS コンテンツコレクション™により、LNP製剤を使用している治療領域の分布を確認することができました(図2)。 LNPの医薬品での使用は、抗腫瘍効果が46%と最も多く、この分野で重要な役割を担っていることがわかります。 抗腫瘍剤であるLNP製剤の単独使用は、乳がんが最も多く(25%以上)、次いで卵巣がん、そして肺がん(いずれも10%)となっています。  

CASデータベースにおける脂質ナノ粒子製剤に関連する文献の分布
図2:さまざまな治療分野における脂質ナノ粒子製剤関連の文献の分布


脂質ナノ粒子は、以下の複数の治療効果に関連付けられており、がん治療における薬物送達に適しています。

脂質ナノ粒子は、複数の治療効果と関連している


また、LNPは、EPR(Enhanced Permeability and Retention)効果として知られるように、がん治療薬の効果を向上させることが示されています。 LNPは、腫瘍の血管を容易に通過できます。これは、血管新生が急速に進んだ結果、血管の透過性が高まっているためです。 このため、投与経路によってデータは異なりますが、LNPを直接注射で静脈内投与した場合、腫瘍に選択的に集積できます。 さらに、腫瘍内でリンパの流れの機能不全がおきるとLNPの滞留性が向上します。LNPの蓄積によって腫瘍細胞内での抗腫瘍剤の選択的放出が可能になります。   

さまざまな治療法に対するLNPの適用可能性をより理解するために、CAS コンテンツコレクション™を使用して、LNPのさまざまな製剤プロセスと適用可能な治療法の相関を調べました。その結果、抗腫瘍治療に最もよく使用されるLNPタイプとして、免疫リポソームとステルスリポソームがあることが分かりました。  

ステルスリポソームがん治療薬の非常に効果的な一例として、進行性卵巣がん、多発性骨髄腫、そしてHIV関連カポジ肉腫の治療薬として最も早く承認されたリポソーム薬DOXIL®(ドキソルビシン塩酸塩リポソーム注射液)があります。 DOXIL®に使用されているLNPは、EPR効果を利用して強力な抗がん剤であるドキソルビシンの心毒性を克服する一方、立体的に安定化したナノ粒子はヒト血漿中の循環時間を延長します。 

現在および今後の研究に関しては、メラノーマ、成人グリオブラストーマ、消化器がん、泌尿器がんなどの固形がんを対象に、LNP製剤をがん免疫療法の標的として研究する多くの第I/II相臨床試験が行われており、これらの治療法が広く臨床応用されていることを裏付けています。  

刺激応答性リポソームは、腫瘍への薬物送達をさらに強化するために研究されているもうひとつのアプローチであり、特定の物理化学的または生化学的刺激下で放出されるよう設計されています。 例えば、ドキソルビシン(刺激:温度/pH)、5-フルオロウラシル(刺激:磁場)、AMD3100(刺激:レーザー照射)などがあります。

 

ナノ治療薬という新分野における脂質ナノ粒子の未来 

ナノ治療薬の分野は、がん以外の幅広い臨床応用が可能な最新の薬物療法として、目覚ましい発展を遂げている分野です。 ナノ治療薬は、従来の薬物送達システムの有効性、選択性、生体内分布を向上させ、その制約を減らすことに貢献しています。  

脂質ナノ粒子の医療への応用は今後も拡大していくことが予想され、遺伝子編集、ワクチン開発、免疫腫瘍学など、核酸を効率的に細胞内に送達できる能力に依存する遺伝子医療で大きな期待が寄せられています。 年齢、病状、併存疾患など患者の生物学的障壁に関係なく薬物を送達する個別化医療のニーズに応えるため、より高度で多機能なナノキャリア設計の薬が開発されています。  

継続的な開発を通じて、脂質ナノ粒子は現代のナノテクノロジーにおいて最も有益で有望な分野のひとつとして認識されるようになりました。

Tenchov R, et al. Lipid nanoparticles - From liposomes to mRNA vaccine delivery, a landscape of research diversity and advancement ACS Nano. 2021 Jun 28. doi: 10.1021/acsnano.1c04996. 出版前のオンライン公開

幻覚剤はうつ病とPTSDの次の治療薬となるか

Angela Zhou , Manager of Scientific Analysis and Insights, CAS

Pyschedelics for treating PTSD - blog hero image

最近の臨床試験では、LSD(リゼルギン酸ジエチルアミド)やMDMA(3,4-メチレンジオキシメタンフェタミン、「モリー」とも言う)、そしてサイロシビン(「シュルーム」とも言う)などの幻覚剤は、適切な用量と投与であれば治療に効果的であることが示されています。 世界的に問題が深刻化しているにもかかわらずこの30年間に新種類の抗うつ薬が登場していない現状において、幻覚剤はうつ病やPTSDとの闘いのための道具となるでしょうか。  

メンタルヘルスの重要性 - 拡大する問題、ただしチャンス到来も

繁栄する豊かな経済の基盤は、それを構成する人口の健康があってこそです。 ところが世界保健機関(WHO)によれば、世界中で2億8000万人以上がうつ病に苦しんでおり、また推定2億8400万人が心的外傷後ストレス障害(PTSD)に苦しんでいます。 精神疾患が人の働く能力に悪影響を及ぼし、労働市場に参加する機会を大幅に制限することがあることは、私たちも知っています。 実際、うつ病は世界中の精神疾患の主要因であり、しかもPTSDの寛解率は20〜30%の範囲であるため、治療を求める患者数は増大しています。   

そこで、精神疾患の増加による危機的状況に取り組むことが急務となっています。 青少年や若年成人の精神疾患の発生率は過去10年間で大幅に増加していました。COVIDのパンデミックはこれを加速させたのです。 このような状況にもかかわらず、問題を軽減する画期的な研究成果や、それに対応する革新的な治療法は現れていません。 実際、臨床試験でのリスクや失敗率が高いため、多くの大手製薬会社では精神疾患治療薬の研究開発から撤退し、神経科学研究プログラムへの投資を縮小させています。

現状 - 今の抗うつ薬に対する治療抵抗

新しい種類の抗うつ薬は、もう30年以上登場していません。 プロザックなどの選択的セロトニン再取り込み阻害薬(SSRI)は、数十年にわたって抗うつ薬の主役になってきました。 セロトニンは、脳の特定領域にあるセロトニン受容体を活性化して、気分や感情そして幸福感を安定させる重要なホルモンです(図1)。

SSRI薬は、神経シナプスにおけるセロトニン(5-HT)の再取り込みプロセスを阻害することによって、シナプスでのセロトニン量を上昇させるよう機能します(図1)。 ところが、長年にわたり処方を受けていると同薬剤に対する治療抵抗性が生じる患者も多いため、新しい治療法発見への需要が急増しています。 はたして幻覚剤は新しい治療法のひとつになるでしょうか。

セロトニン分子とシナプス阻害の図
図1. セロトニンの化学構造(左)、そしてSSRI薬が神経シナプスにおいてセロトニン再取り込みをどのように阻害するか(右)。


早期臨床試験における有望な結果

1990年以降、神経画像技術の進歩により、実験環境において幻覚剤と具体的な結果とを関連付けられるようになったため、幻覚剤研究への関心が高まっています。 こういった薬は幻覚誘発物質の一種で、つまり神経伝達物質受容体(ニューロン間の化学信号を感知する受容体)の一部と結合することによって神経学的効果を発揮します。 摂取すると、知覚や気分、そして認知プロセスに変化をもたらし、現実から遊離した「幻覚トリップ」という精神的状態を引き起こすことがあります。こうした薬剤は、天然素材から合成または抽出された有機化学化合物です。

メンタルヘルスの問題に対する意識の高まりと、選択可能な治療法が不十分である現状を踏まえて、幻覚剤はさまざまな精神疾患を治療するための方法として新たな価値が見出されています。 ここでは、現在臨床試験の後期段階にある3つの幻覚剤を焦点を当ててみます。

  • 薬剤抵抗性うつ病の治療用として第2相試験が進行中のサイロシビン(シュルーム)
  • 大うつ病性障害治療用として第2相試験が進行中のリゼルギン酸ジエチルアミド(LSD)
  • PTSD患者の治療用として第3相試験が進行中のエクスタシーまたはモリーと一般的に呼ばれる3,4-メチレンジオキシメタンフェタミン(MDMA)

サイロシビンの可能性

サイロシビンは、摂取するとサイロシンの活性薬物形態に変化し(図2)、そしてその化学構造はセロトニンと非常に似ているため、セロトニン受容体アゴニストとして機能します。 構造上の唯一の違いは、ヒドロキシル基とメチル基の位置です(図3)。 摂取後数時間で、幻覚および幻聴を伴う意識の重大な変化を引き起こします。

無作為化された臨床試験では、大うつ病性障害のある患者に対し迅速かつ持続的で大きな抗うつ効果をもたらすことで、サイロシビン補助援療法は有効であることがわかりました。 現在、サイロシビンは大うつ病性障害の第2相臨床試験中です。 さらに、サイロシビン補助心理療法に関する数件のパイロットスタディでも、アルコール依存症とニコチン依存症の両方の治療に効果があることが示されています。

サイロシビンの脱リン酸化
図2. 脱リン酸化によりサイロシビンがサイロシン(活性型)に変化する


 

サイロシンとセロトニンの構造比較
図3. サイロシンとセロトニンの化学構造の比較。 相違点は青とピンクの部分である。

 

初期研究でのLSDの効果

サイロシビンと同様、LSDもキノコから検出そして抽出できます。 ただし、最初は1938年スイスの科学者アルバート・ホフマン博士により科学的に合成されています。 LSDの心理的効果は、1950年から1970年までの間に徹底的に調査されています。 その期間での多くの文献では、さまざまな精神疾患を有する患者において、行動および人格に肯定的な変化があったことを記しています。 またLSDは、適切に併用して投与することで進行がん患者の痛みや不安、そしてうつ病を軽減できることが観察されました。

サイロシビンと同様、LSDはセロトニンと構造的に類似しているため、主にセロトニン受容体アゴニストとして機能します(図4)。 しかし、受容体の活性化とその結果として生じる認知障害および幻覚の誘発との間の相互作用のメカニズムについては、まだよくわかっていません。 それでも、さまざまな精神疾患の治療におけるLSDの利点は、現在いくつかの予備的な臨床研究で調査されています。 それよりも有望なのは、大うつ病性障害での第2相試験で、そこではさまざまな投与量でLSDがテストされています。

LSDの化学構造
図4. LSDの化学構造

 

医療用MDMAへの道

MDMAは合成幻覚剤です(図5)。 パーティードラッグとしてナイトクラブなどで広く使用されてきました。 MDMAは主に、シナプスに放出されるセロトニンの量を増やす間接的なセロトニンアゴニストとして機能します。 またセロトニンを貯蔵する小胞やセロトニントランスポーターに作用することで放出できるセロトニンの量を増やし、またその放出の促進も行います。 このプロセスにより、シナプスで利用可能なセロトニンの量を大幅に増加させる作用があります。 MDMAは、動物モデルで恐怖記憶の消去の強化、恐怖記憶の再統合の調整、そして社会的行動の強化の作用があることが示されています。

さらに興味深いことに、ジョンズホプキンスの研究チームによって行われた最近の研究では、PTSD患者の治療における治癒的価値やその潜在的メカニズムも明らかになっています。 同チームは、MDMAが病態においてすでに閉鎖されてしまった神経回路形成の臨界期を再開させ、環境ストレスが存在しなくなったときでも神経回路の再形成を可能にすることを発見しました。 MDMAは現在第3相試験中であり、その第2相試験ではPTSD患者の治療において安全性と有効性において有望なことがわかっています。

MDMAの化学構造
図5. MDMAの化学構造

 

進展あるも、さらなる努力は必要

幻覚剤を精神疾患の治療に使用するための研究は進展していますが、まだいくつかの障害があります。 まず、これらの物質の多くはオレゴン州以外ではスケジュール1の規制物質であり、違法であることが挙げられます。 次に、規制物質の乱用や軽視そして誤用の可能性が患者と医療提供者の双方で高いこと。 そして最後に、身体的リスクが存在していることも挙げられます。 少数の患者において、急性錯乱や不安などの「悪いトリップ状態」を経験する場合や、血圧と心拍数の中程度の上昇がみられる場合もあるからです。

幻覚剤は、オピオイドや大麻物質のように依存症や禁断症状を引き起こすことはありませんが、長期間の使用や頻繁な使用は耐性につながる可能性はあります。 幻覚剤は、十分に管理された環境および監督下で患者に投与することが推奨されます。

メンタルヘルスは、白黒が明確になっているものではありません。複雑であり段階的であり、そして連続しているものです。 良い状態では精神的に充実しており、中間的状態では対処しながらも何とかやっていけるでしょう。しかし悪い状態では疾患により日常的機能も中断されます。 治療の選択肢は、非常に協力的な環境の中、患者とその医療提供者との間で連続的に対処していく必要があります。 これは医師の診断と評価に応じて、認知行動療法から既知の薬剤または処置まで、そしてより実験的なアプローチにまで及ぶ場合もあるでしょう。

この有望な治療分野でイノベーションが加速し続ける中、CASは最近、幻覚剤を専門とするAI創薬企業であるApril 19 Discovery社と提携しました。 この機械学習のコラボレーションでは、CAS コンテンツのコレクションTMとカスタマイズされたサービスを通じて、April 19 Discovery社のリード化合物の開発が加速化されました。 詳細はプレスリリースをご覧ください。

腸内マイクロバイオームと、うつ病や不安症などとの関係

Rumiana Tenchov , Information Scientist, CAS

picture of brain

もうひとつの人体器官としての腸内マイクロバイオーム

人体にはさまざまな微生物が大量に存在しています。大部分はバクテリアですが、中にはウイルスや原虫、菌類、そして古細菌などもあります。 これらは集合的にマイクロバイオームと言われています。 腸内マイクロバイオータ、腸内フローラまたはマイクロバイオームとは、人間を含む動物の消化管に棲む微生物です。 一部の細菌は疾患と関係していますが、その他の細菌は健康の多くの側面で特に重要な役割を果たしています。 実際、人体には人間の細胞よりも多くの細菌細胞が存在しています。人間の細胞はわずか30兆個であるのに対し、細菌細胞は約40兆個に及びます。 これら微生物の総重量は、脳とほぼ同じと言われています。 微生物は、総体でもうひとつの人体器官として機能し、人間の健康に大きな役割を果たしています。 腸内マイクロバイオームの総ゲノムは、体内のヒトDNAの量の100倍を超えます。 その膨大な遺伝子学的潜在力を考えると、マイクロバイオータは人体の事実上すべての生理学的プロセスで何らかの役割を果たしていることが予想されます。 腸内細菌はいくつかの精神疾患との関連が指摘されており、うつ病や双極性障害、統合失調症、自閉症など、さまざまな精神障害を抱える患者では、腸内微生物の組成が大きく変化していることがわかっています。

CAS コンテンツのコレクションTMで検索するとわかるように、人間の健康、特にメンタルヘルスに関連する腸内マイクロバイオームへの関心は、2000年以降数年で急激に増加しています。 現在、メンタルヘルスと腸内マイクロバイオームに関する出版物は7,000以上あります(図1)。

CASデータベースにおけるメンタルヘルスに関係した腸内マイクロバイオーム関連出版物の年間発行部数のグラフ
図1.  2000年~2021年のCAS コンテンツのコレクションにおけるメンタルヘルスに関係した腸内マイクロバイオーム関連出版物の年間発行部数。

 

新生児は出生時に最初の微生物を獲得する - 人間の腸内マイクロバイオームの発達

一般的には、子宮内は無菌環境であり、細菌定着は出生時に始まると考えられています。 新生児のマイクロバイオームは分娩方法によって異なります。経膣分娩した新生児のマイクロバイオームは母体の膣内マイクロバイオームに似ており、帝王切開で出産した新生児のマイクロバイオームは母体の皮膚のマイクロバイオームに似ています。 早産や授乳方法など、他のさまざまな要因も新生児のマイクロバイオームの発達に影響を及ぼします。 成人期を通じた腸内マイクロバイオーム組成の主要決定要因は食事のようです。 摂取する食事が変化すると、それに応じてマイクロバイオーム組成も急速に変化します。 野菜中心の食事と肉食中心の食事に、特徴的なパターンが目立ちます。 腸内マイクロバイオームの発達と変化は、他の複数の要因によっても影響を受けます。 CAS コンテンツのコレクションの検索によれば、ストレスにさらされることが、腸内マイクロバイオームの組成に影響を与える(食事に次いで)2番目に重要な要因になっています。 その他の要因として、出産方法と乳児期の授乳方法、環境条件、投薬、ライフサイクルの段階と生活様式、併存疾患および医療処置などが挙げられます(図2)。 その機能的組成および代謝活動の不均衡、または局所分布の変化によって引き起こされるマイクロバイオータの恒常性の崩壊は腸内毒素症と呼ばれ、微生物の不均衡または不適応を示しています。

腸内マイクロバイオームに影響を及ぼす主な要因の図
図2.  腸内マイクロバイオームに影響を及ぼす主な要因


腸内マイクロバイオームの組成に対する食事の役割の重要性が認識された今、そしてさらに健康に対する腸内マイクロバイオームの影響の重大性を考えると、そこで当然出てくる大きな疑問があります。それは、腸内細菌を良好な状態に維持するために有益な食事とは、つまり推奨される食事とは、どんなものなのでしょうか。 特定の病気の治療法として特定の食品を挙げられるような決定的に明確な答えはありませんが、いくつかの大きなガイドラインは出てきています。 腸内マイクロバイオータに特に影響を及ぼすのは、食物繊維の多い食事です。 食物繊維は、結腸に棲むマイクロバイオータから生じる酵素でのみ消化と発酵ができます。 発酵により短鎖脂肪酸が放出され、結腸のpHが下がります。 その非常に酸性の環境が、生き残る微生物マイクロバイオータの種類を決定します。 pHが低くなると、クロストリジウム・ディフィシルなど、特定の有害な細菌の増殖が制限されます。 イヌリンやでんぷん、ゴム質、ペクチン、フラクトオリゴ糖などの高繊維食品は、有益なマイクロバイオータを養うため、プレバイオティクスとして知られるようになりました。 こういったプレバイオティクス繊維は、一般的には果物や野菜、豆、そして小麦やオート麦、大麦などの全粒穀物に大量に含まれています。 またそれとは別の非常に有益な食品類として、消化器系に良い生菌のプロバイオティクスがあります。これは、腸内マイクロバイオームをさらに改善させることがあります。 これには、ヨーグルトの一種のケフィア、生きた活性培地の入ったヨーグルト、漬物、コンブチャ、キムチ、味噌、ザワークラウトなどの発酵食品があります。


腸内マイクロバイオータに属する菌種

人間の腸内マイクロバイオータは、門と呼ばれる多くのグループに分類できます。 腸内マイクロバイオータは主に4つの門から成っています。フィルミクテス(Firmicutes)門、バクテロイデテス(Bacteroidetes)門、アクチノバクテリア(Actinobacteria)門、そしてプロテオバクテリア(Proteobacteria)門です。フィルミクテス門とバクテロイデテス門が腸内マイクロバイオータの90%を占めています。 バクテリアの大多数は消化管内に棲み、その大部分の嫌気性バクテリアは大腸に存在しています(図3)。  

腸内マイクロバイオータに属する菌種のイラスト
図3.  腸内マイクロバイオータに属する菌種 


腸と脳の関係 - 「第2の脳」としての腸内マイクロバイオーム

腸と脳が常に双方向に対話をしていることは現在では実証済みになっていますが、マイクロバイオータとその代謝産物がその主要な構成要素です。 マイケル・ガーションは、1999年の著書で消化器系を「第2の脳」と呼びました。当時、科学者たちは人間の腸と脳が絶え間なく対話をしていること、そして腸の微生物が脳機能を大幅に調節していることに気づき始めていました。 

現在では、腸内マイクロバイオータは、神経や内分泌経路そして免疫経路を介して中枢神経系と対話し、それにより脳機能を制御しているというのが一般的に考えられています。 さまざまな研究でも、腸内マイクロバイオータは、不安や気分、認知そして痛みの制御において大きな役割を果たしていることが示されています。 よって、マイクロバイオータ・腸・脳の軸という新たな概念により、腸内マイクロバイオータの調節は、中枢神経系障害に対する新しい治療法を開発するための効果的な戦略である可能性があります。

腸内マイクロバイオータとCOVID-19

最近、腸内マイクロバイオータの組成と、COVID-19患者のサイトカインおよび炎症マーカーのレベルとの間での相関関係が報告されています。 腸内マイクロバイオームは、宿主の免疫応答を調節することにより、COVID-19の重症度に関与していることが示唆されています。 さらに、腸内マイクロバイオータによる腸内毒素症は、病気から回復した後も症状が持続する要因となる可能性があり、腸内細菌が炎症とCOVID-19にどう関与しているかを理解する必要があります。

腸内微生物の神経作動性代謝産物

腸内マイクロバイオータ・脳という軸における異常が、神経疾患の病態生理学における重大な要因として出現してきたため、腸内細菌代謝産物が持つ神経作動性の可能性を理解するべく、ますます多くの研究が行われています。 従って、主要な神経作動性腸内微生物代謝産物は次のように現れています。

神経伝達物質

腸内マイクロバイオームは、脳の活動を調節する神経伝達物質を生成します。 中枢神経系の神経伝達物質の大多数は消化管にも存在し、腸の運動や分泌、細胞シグナリングの調節など、局所的に効果を発揮します。 腸内マイクロバイオータの構成要素は神経伝達物質を合成することができます。例えば、乳酸桿菌とビフィズス菌はGABAを生成し、大腸菌はセロトニンとドーパミンを、そして乳酸桿菌はアセチルコリンを生成します。 (図4)信号は迷走神経を介して脳に送られます。

腸内マイクロバイオームによって生成される神経伝達物質の化学構造
図4.  腸内マイクロバイオームによって生成される神経伝達物質


短鎖脂肪酸

短鎖脂肪酸は食物の炭水化物の嫌気性発酵により盲腸と結腸で生成される小さな有機化合物で、他のバクテリアに栄養を与え、大腸で容易に吸収されます。 短鎖脂肪酸は、消化器系、免疫系、そして中枢神経系の機能に関与していますが、行動への影響についてはさまざまな見解があります。 腸内マイクロバイオームによって最も多く生成される3種類の短鎖脂肪酸は、酢酸塩、酪酸塩、そしてプロピオン酸塩です(図5)。 これらを投与したマウスでは。うつ病の症状が軽減されることが実証されています。 食物繊維を発酵させ短鎖脂肪酸を生成するグラム陽性の嫌気性細菌は、フィーカリバクテリウムおよびコプロコッカスという細菌です。 フィーカリバクテリアは豊富に存在する腸内微生物であり、免疫学的役割のほか、うつ病などさまざまな疾患に対し臨床的関連性があります。

腸内マイクロバイオームによって生成される短鎖脂肪酸の化学構造
図5.  腸内マイクロバイオームによって生成される短鎖脂肪酸

 

トリプトファン代謝産物

トリプトファンはタンパク質の合成に関与する必須アミノ酸です。 細菌酵素(トリプトファナーゼ)によるその代謝分解は、セロトニン、キヌレニン、インドールなどの気分調節特性を持つことが確認された神経活性分子を生じさせます(図6)。 トリプトファンの食事摂取は、ヒトの中枢神経系のセロトニン濃度を調節でき、またトリプトファンが枯渇するとうつ病が悪化することがわかっています。

腸内マイクロバイオームによって生成されるトリプトファン、その代謝産物および乳酸の化学構造
図6.  腸内マイクロバイオームによって生成されるトリプトファン、その代謝産物および乳酸


乳酸

乳酸(図6)は、主に乳酸菌(L. lactis、L. gasseri、L. reuteriなど)、ビフィズス菌、プロテオバクテリアによる食物繊維の発酵から発生する有機酸です。 乳酸塩は、いくつかの細菌種によって短鎖脂肪酸に変換され、短鎖脂肪酸の蓄積に加わっていきます。 乳酸は血流に吸収され、血液脳関門を通過できます。 脳の中枢神経系のシグナル伝達における乳酸の役割は、よく知られています。 グルタミン酸に代謝可能なため、エネルギー基質としてニューロンに使用されます。 また、シナプス可塑性にも寄与し、記憶力の発達を引き起こします。

ビタミン

ラクトバチルス菌やビフィズス菌など腸内の細菌のほとんどは、大腸での代謝の際にビタミン(特にビタミンB群とビタミンK群)を合成します。 人のビタミン生産は、腸内マイクロバイオータに依存しています。 ビタミンは、脳を含む人体のさまざまな生理学的プロセスにおいてあらゆる役割を担う重要な微量栄養素です。 ビタミンは能動輸送により血液脳関門を越えて運ばれます。 中枢神経系においては、ビタミンの役割はエネルギー恒常性から神経伝達物質産生にまで及びます。 そのため、ビタミンが欠乏すると、神経機能に重大な悪影響が生じる場合があります。 また、葉酸(ビタミンB9)は、うつ病の病状に広くかかわっているとされている微生物由来のビタミンです。

展望

最近の革新的な治験中の治療法である糞便微生物移植は、現在臨床試験にて試験中で、治療上非常に有望であることがわかりました。 過去5年間に、糞便移植に関連する約1,000件の文書がCAS コンテンツのコレクションに毎年追加されています。 たとえば、糞便マイクロバイオータ移植は、抗生物質に反応しない再発性クロストリジウム・ディフィシルによって引き起こされる感染症の80〜90%を回復できることが報告されています。 各種疾患の潜在的な治療法として、研究が増加している糞便微生物移植を使用した臨床試験が意味していることを、早急に研究する必要があります。 

現在、胃腸内細菌叢を介した脳・腸の軸の調節に関する研究が、最前線の画期的な新しい科学として脚光を浴びています。 利用可能なデータの大部分は、ヒトへの効果に適用できないかもしれない基礎科学または動物モデルに基づいてています。 従って、特定のプレバイオティクス化合物やプロバイオティクス株を個別処方することによる、栄養とライフスタイル医学のパーソナライズ化という理想は、まだまだ有望と言えます。 マイクロバイオームの機能や、宿主と微生物の相互作用の根底にあるメカニズムの特徴をさらに解明する努力が今後も継続することにより、健康と病気におけるマイクロバイオームの役割をより理解できるようになるはずです。

新たなトレンドや新しいアプローチが、うつ病や不安神経症、PTSDに苦しむ何百万人もの人々をいかに助けているか、その詳細はサイケデリック薬とその治療法としての進歩に関するブログをご覧ください。

5歳未満の子供向けCOVIDワクチンの成分

Elizabeth Brookes , Information Scientist, CAS

photo of child being vaccinated

パンデミックが始まって以来、米国では1,140万人以上の子供がCOVID-19で陽性との検査結果が出されており、そのうち4歳未満の子供の症例は160万人以上に達し、COVID-19による入院総数の3.2%を占めています。 米国食品医薬品局(FDA)と米国疾病対策センター(CDC)が5歳未満の子供を対象とした緊急使用許可(EUA)に向けてファイザーとBioNTech製のCOMIRNATY® COVIDワクチンの安全性データの審査を開始している中、5歳未満の子供にワクチン接種をさせるべきかの判断のために保護者が詳細を把握するにつれて、いくつかの重要な質問が浮上してきています。 5歳未満の子供では投与量は異なるものの、COVIDワクチンに含まれる成分の種類を理解することで、保護者はより多くの情報に基づいた判断ができるようになります。  

5歳未満の子供向けのワクチンは、成分は同じなのでしょうか。  

完全に同じではありません。ファイザーBioNTech製のCOVID-19ワクチンの有効成分は現行の成人向けワクチンと同一ですが、子供向けワクチンの冷蔵期間延長を可能にするトロメタミン(Tris)という緩衝液が唯一違います。 トロメタミンは一般的な成分に聞こえないかもしれませんが、科学的な観点からは、1944年に世界的に公開された文献に登場しており、1978年以降は化粧品や美容液、ワクチンにしばしば使用されています。

もう一つの重要な違いは投与量で、5歳未満の子供には3 µgの投与量を3回投与、5歳以上の子供には10 µgの投与量を2回投与、12歳以上には30 µgの投与量を3回投与となっています。   

COVID-19ワクチンの成分はどれほど一般的なものですか。

成分がどれほど一般的であるかを確認するために、CASではユニークな視点を提供しています。 100年以上にわたって、新しい化学関連の科学研究が発表されるたびに、CASはその情報をCAS コンテンツのコレクション™に収集してきました。そうすることで、特定の化合物がいつ研究に初めて登場したか、そしてそれ以降もいつ登場しているのか、すべて確認することができます。 各化合物には独自の登録番号が付与されているため、CAS コンテンツのコレクションを使うと、特定の化合物が研究対象となった回数、または研究で使用されている頻度をすべて見ることができます。 COVID-19ワクチンの各成分は、科学文献におけるその普及率と関連付けることにより、それぞれがどれほど科学的に一般的であるかについての洞察を得ることができます。

実際のところ、科学的に最も一般的な成分は、主に食品の成分またはスキンケア製品の成分として、家庭内でも一般的に存在しています。 一方、ワクチンの成分でCAS コンテンツのコレクションにそれほど頻繁に現れてこないもの(脂質など)はより新しいため、登場回数も具体的な用途も少なくなります。 それでも、CASのコンテンツは、このような独特の成分をよりよく理解するのに役立ちます。

日常的に家庭で一般的に使用される成分

最も一般的な成分は、家庭の台所でもよく目にするようなものです。 塩や砂糖のような単体で存在するものもありますが、ゲータレードのようなスポーツドリンクやジェローなどのフルーツゼリーといった一般的な食べ物や飲み物に含まれているものもあります。 成分がどれほど普及しているかをCAS コンテンツのコレクションで調べるには、その登録番号が世界中の出版物で参照された回数に応じて、次のように分類しています。

  • 高= 50,000を超える回数
  • 中= 10,000~50,000
  • 低= 0~10,000
米国で接種可能なCOVIDワクチンの一般的成分(およびそのCAS 登録番号)

成分
(CAS登録番号)

普及率
 
使用されているワクチン 主な用途
 
エタノール
64-17-5


 
ヤンセン アルコール飲料、手の消毒液
酢酸
64-19-7


 
モデルナ 蒸留白酢
塩化ナトリウム
7647-14-5


 
ファイザー
ヤンセン
食卓塩
スクロース
57-50-1


 
ファイザー
モデルナ
しょ糖
塩化カリウム
7447-40-7


 
ファイザー 減塩食品内の塩代替品、粉ミルク
コレステロール
57-88-5


 
ファイザー
モデルナ
人と動物の体内で自然に作られる。 チーズ、卵、肉などの一般的な食品に含まれている。
一塩基性リン酸カリウム
7778-77-0


 
ファイザー ゲータレード
酢酸ナトリウム
127-09-3


 
モデルナ ソルト&ビネガー味のポテトチップス
ポリソルベート-80
9005-65-6


 
ヤンセン ソルビトールベースの乳化剤:アイスクリームに使用され、局所使用では石鹸などがある
クエン酸一水和物*
5949-29-1


 
ヤンセン 柑橘系の果物に天然に存在する酸。 無水状態ではバスボムで使用されているほか、酸味を加えるための食品添加物としても使用されている。 炭酸飲料など
二塩基性リン酸水素二ナトリウム二水和物
10028-24-7


 
ファイザー ジェロー
クエン酸三ナトリウム二水和物*
6132-04-3


 
ヤンセン ジェロー、スプライト、ゲータレード

*成分が 1つまたは2つの水分子と共に結晶化した場合のものと、水なしで存在しているものとが含まれる。

科学的に一般的な成分

このカテゴリーは、多少専門化されているものの、さまざまな用途で使用されている成分です。 それらは、医学や研究の分野では最低でも数十年の間使われてきており、家庭の台所にあるようなものよりもはるかに一般的なものです。 最も一般的な成分は、デンプンから自然に形成されるベータシクロデキストリン(BCD)に由来する、興味深いリング状になった化合物、ヒドロキシプロピル-β-シクロデキストリン(HPBCD)です。 BCDは50,000回以上研究されているだけでなく、それに基づく化合物は26,000種を超えます。 比較的新しく登場したのは、1,2-ジオクタデカノイル-sn-グリセロ-3-ホスホコリン(DSPC)です。これは、ホスファチジルコリンと他のレシチンが混合している大豆などの食品で自然に発生するホスファチジルコリンの一種です。 その純粋な形態は、単離または合成を問わず、20年以上にわたってワクチンまたは脂質ナノ粒子において研究されてきました。 モデルナワクチンの安定剤であるトロメタミンおよびトロメタミンHClも、化粧品の成分としてだけでなく、確立されたワクチン成分としてここの一覧に含まれています。

米国で接種可能なCOVID-19ワクチンにおける科学的に一般的な成分
成分
(CAS登録番号)

普及率
 
使用されているワクチン
ヒドロキシプロピル-β-シクロデキストリン
7585-39-9


 
ヤンセン 酵素によりデンプンから自然に変換される。広く使用される賦形剤。1984年以降の他のワクチン
トロメタミン
77-86-1


 
モデルナ 化粧品、美容液、1978年以降の他のワクチン
トロメタミン塩酸塩
1185-53-1


 
モデルナ 化粧品、美容液、代謝性アシドーシスの治療、1978年以降の他のワクチン
1,2-ジオクタデカノイル-sn-グリセロ-3-ホスホコリン
816-94-4

 
ファイザー
モデルナ
他のホスファチジルコリンと共に大豆に自然に含有されるホスファチジルコリン。 純粋なDSPCはリポソームまたは脂質ナノ粒子に使用。1998年以降の他のワクチン

独特な成分

あまり一般的ではない成分としては、モデルナおよびファイザーのmRNAワクチンに使用されている特殊な脂質があります。 これらの脂質は、スパイクタンパク質mRNAを保護し、人体の細胞内への安全な送達に役立つ脂質ナノ粒子(LPN)を構成しています。 LPN技術は30年近く前から存在しており、そのイノベーションにはがん研究が重要な役割を果たしています。 mRNAワクチンの実現には、適切な脂質の発見と開発が必要でした。 これらの脂質成分はまだ新しいものではありますが、COVID-19パンデミック以前から存在していることに注意することが重要です。

今回のワクチンで唯一本当に新しい成分は、パンデミックの開始後に開発されたウイルス関連の粒子だけです。 ファイザーとモデルナの場合、これを構成しているのはCOVID-19ウイルスのスパイクタンパク質を符号化するmRNAの鎖です。 使用されるmRNAは、SARS-CoV-2の元の株に基づいています。オミクロンなど、コロナウイルスの後期変異体を標的とする新しいワクチンがリリースされた場合、mRNAの新しい配列を使用して符号化できます。 mRNAは細胞の細胞質ゾルにとどまり、細胞核のDNAに干渉はしないため、mRNAワクチンは細胞に遺伝的変化を引き起こすことはしません。 mRNAワクチンと同様、ジョンソン&ジョンソン製のワクチンは、DNAの一部を運ぶ改変アデノウイルス-26(ad26)ベクターウイルスを使用して、コロナウイルスのスパイクタンパク質を生成する遺伝子テンプレートを細胞に提供します。 mRNAとDNAはCOVID-19に特異的であるため、これらの成分はパンデミックが始まって以降に開発されたものです。 同じLPN技術を用いた類似のmRNAワクチンが2016年から研究されており、ad26を使ったエボラウイルスベクターワクチンも2016年には開発中でした。

米国で接種可能なCOVID-19ワクチンに固有の成分
成分
(CAS登録番号)

普及率
 
使用されているワクチン 他の用途
2[(polyethylene glycol (PEG))-2000]-N,N-ditetradecylacetamide
1849616-42-7


 
ファイザー その他のワクチン研究(HIV、ロタウイルスなど)、がんの治療
(4-hydroxybutyl)azanediyl)bis(hexane-6,1-diyl)bis(2-hexyldecanoate)
2036272-55-4


 
ファイザー その他のmRNAワクチン研究(HIV、インフルエンザ、狂犬病、黄熱病、RSV、がん)
PEG2000-DMG: 1,2-dimyristoyl-rac-glycerol, methoxypolyethylene glycol
160743-62-4


 
モデルナ 標的化学療法を含む標的療法
SM-102: heptadecan-9-yl 8-((2-hydroxyethyl) (6-oxo-6-(undecyloxy) hexyl) amino) octanoate
2089251-47-6


 
モデルナ その他のワクチン研究(ジカ熱ウイルス、熱帯性ウイルス、がんワクチンなど)
SARS-CoV-2スパイクタンパク質を符号化するmRNA - ファイザー
モデルナ
COVID-19ワクチンのみに特異的。
SARS-CoV-2スパイクタンパク質を発現する組換え型・複製能力のないアデノウイルス26型 - ヤンセン COVID-19ワクチンのみに特異的。 アデノウイルス部分は、エボラワクチンの設計にも使用された

COVID-19のパンデミックにより集中的に行われた研究のおかげで、CAS コンテンツのコレクションにおけるこれら独特な成分の普及は常時拡大してきています。 時間が経つにつれて開発が進み、LPNとad26ウイルスベクターの用途は確実に増えることでしょう。

まとめ

COVID-19ワクチンの製剤と成分に関しては厳しい精査にさらされてきていましたが、ファイザーとBioNTechの5歳未満の子供向けCOMIRNATY® の緊急使用許可に向かって審査中のところまで来ている今、これらの成分がいかに一般的なものか理解することで、保護者は知識に基づいた判断ができるようになるでしょう。 すべての成分の詳細情報をお探しの方は、ワクチン別に全成分を記載したこちらの表をダウンロードの上ご利用ください。

COVID-19に関してさらに詳しく知るには、最新のデータセットやバイオインジケーターエクスプローラー、および査読付きの記事などをまとめたCAS COVID-19リソースコレクションを参照してください。  

 

天然変性タンパク質は、COVID-19治療の鍵となるか

Rumiana Tenchov , Information Scientist, CAS

photo depicting a protein structure and folding

2021年12月の時点で、2019年に発生した新型コロナウイルス感染症(COVID-19)の対策として80億回以上のワクチンが投与されています。これには、約2億1700万回のブースター接種(追加接種)が含まれています。 このワクチンの主な標的は、いわゆる「スパイク」タンパク質または「S」タンパク質です。これは、宿主細胞へのウイルス侵入を許す重要な役割を果たしている、必須ウイルスタンパク質です。

ワクチンは重要ですが、COVID-19の治療法の開発により、天然変性タンパク質が重要な病理学的役割を果たしている可能性があることが明らかになりました。 歴史的には、各タンパク質のアミノ酸配列がその三次元構造を決定し、そしてその構造が今度はその機能を決定すると生物学者は考えていました。 ところが、固定された、もしくは整った三次元構造を欠くにもかかわらず、基幹的な生物活動を呈するタンパク質や領域の大きいグループがあります。いわゆる天然変性タンパク質および領域です(図1)。

このタンパク質のディスオーダーはアミノ酸配列に符号化されており、すべての生物やウイルスに豊富に存在しています。 SARS-CoV-2タンパク質内のこれら注目すべき領域の特性をより深く理解することで、COVID-19の治療法の開発をより迅速に進めることができる可能性があります。

(A)天然変性タンパク質、(B)天然変性領域、および(C)構造化タンパク質の模式図
図1. (A)天然変性タンパク質(IDP)、(B)天然変性領域(IDPR)および(C)構造化タンパク質の模式図


天然変性タンパク質の例

タンパク質内の「天然変性タンパク質」(IDP)または「天然変性タンパク質領域」(IDPR)に見られる天然のばらつきは、生物の3つの界すべてで見られます。 それらは、酵素触媒作用、アロステリック調節、細胞シグナル伝達、転写などの重要なプロセスに関与しています。

ただ、神経変性や糖尿病、心血管疾患、アミロイド症、遺伝性疾患、および癌などの疾患においても役割を果たしています。 さらに、しばしばウイルスタンパク質にもそういった領域が含まれており、それは宿主タンパク質に容易かつ無差別的に結合する能力をウイルスタンパク質に与えているため、病原性と相関関係が指摘されています。

CAS コンテンツのコレクションTM(図2)での検索で示されるように、タンパク質科学におけるIDP/IDPRへの関心は、2000年以降急速に高まっており、COVID-19を含む薬剤設計における役割も研究され始めています。

CASデータベース内の天然変性タンパク質関連の出版物の年間件数と累積件数のグラフ
図2. CAS コンテンツのコレクションにおけるIDP関連の出版物の年間件数と累計件数


SARS-CoV-2内の天然変性タンパク質

SARS-CoV-2は、そのゲノムRNAと共に、以下で構成される粒子に束ねられてビリオンを形成します。宿主細胞への侵入に重要なSタンパク質、ウイルスの結合を促進する膜(M)タンパク質、イオンチャネル小エンベロープの(E)タンパク質、そしてウイルスRNAと結合してヌクレオカプシドを形成するヌクレオカプシド(N)タンパク質(図3)。

SARS-CoV-2粒子の模式図
図3. SARS-CoV-2粒子の模式図

 

IDP/IDPRはSARS-CoV-2プロテオームでは一般的ではありません。 実際のところ、SARS-CoV-2プロテオームは、かなりのレベルの構造的秩序を示しています。SARS-CoV-2タンパク質は、ヌクレオカプシド(N)タンパク質を除き、少々の天然変性タンパク質領域を含んでいるだけの、高度に秩序のあるタンパク質です。 ただし、注目に値するのは、既存のディスオーダー領域は、ウイルスの機能と毒性に多大な影響を与えているため、抗ウイルス薬発見の有望な創薬ターゲットであるということです。 このようなアプローチは、新しい候補薬の特定に役立つこともすでに証明されています。

ヌクレオカプシド(N)タンパク質

RNAに結合するNタンパク質は、ウイルス粒子内のゲノムRNAを安定化し、ウイルスゲノムの転写、複製、およびパッケージングを制御します。 Nタンパク質は高度にディスオーダーしており、予測される天然ディスオーダーの平均パーセンテージは約65%になっています。 これらのディスオーダー領域は、ヌクレオカプシドを維持する上で重要なようであるため、製剤設計の標的として役立つ可能性があります。 Nタンパク質内のディスオーダー領域は、「液-液相分離」と呼ばれるプロセスを介してタンパク質を凝集させる上でも重要であるようです。これは、宿主細胞の免疫において重要dであるストレス顆粒の自然な形成を阻害する方法となっている可能性があります。 従って、Nタンパク質の液-液相分離プロセスの崩壊は抗ウイルス介入が期待でき、またCOVID-19に対抗する薬剤開発に向けた新たな標的と戦略を提供します

スパイク(S)タンパク質

Sタンパク質はウイルス表面を冠のように装飾します。 ウイルスが宿主細胞に侵入する上で重要な役割を担うため(図4)、COVID-19ワクチンの開発において一般的に使用される薬剤標的となっています。 感染の初期段階である受容体結合と膜融合は、どちらも広範囲な天然変性領域に関連しています。

Sタンパク質の解析では、S成熟に関連するSサブユニット切断部位とS融合ペプチドがともにIDPRに関連していることを示しています。 構造化タンパク質領域と比較して、非構造化タンパク質ではタンパク分解が大幅に速く進むことを考えると、SARS-CoV-2Sタンパク質のこの構造的特異性は機能的に非常に重要である可能性があります。  

SARS-CoV-2ウイルスに感染中は、スパイクタンパク質と、ウイルスが結合するヒト組織の受容体であるACE2受容体との界面でIDPRが検出できます。 スパイクタンパク質の主な残基は、ACE2に対して強い結合親和性があり、これがSARS-CoV-2の高い感染力の理由のひとつと考えられます。

従って、コロナウイルス感染の最初の重要なステップである受容体結合と膜融合は、どちらもSタンパク質の広範囲な天然変性領域に関連しています。 これらはSARS-CoV-2感染阻害のための主要な標的です。  

宿主細胞へのSARS-CoV-2侵入の模式図
図4. 宿主細胞へのSARS-CoV-2侵入の模式図


膜(M)タンパク質

Mタンパク質は、ビリオンに多数見られる主要な膜貫通タンパク質です。 SARS-CoV-2は、コロナウイルスの中でも特に強力な保護外殻を持っています。これは、Mタンパク質の低い天然変性(6%)に関連している可能性があり、ウイルスの高い復元力と感染力の原因となっている可能性があります。 実際、さまざまなウイルスの感染力とそのMタンパク質の天然変性の割合には相関関係が示されおり、ディスオーダーの少ないMタンパク質はより感染力の強いウイルスとの関連しています。

今後の展望 - 製剤設計のフロンティア

現在、世界中で新しいウイルスの出現とその流行が大きな懸念事項となっています。 よってウイルスタンパク質の構造と機能に関する知識は、疾患の予防と治療に向けた新しい治療標的を特定する上で非常に重要です。  

ACS Infectious Diseasesにて私どもが発表した査読付き論文では、SARS-CoV-2プロテオームのタンパク質における天然ディスオーダーの発生に関して現在利用可能な情報を要約しています。 実際、SARS-CoV-2プロテオームは相当なレベルの構造秩序を示すことが認識されています。そんな中で、Nタンパク質のみ、高度なディスオーダーが見られます。 その他のSARS-CoV-2タンパク質は、ディスオーダーの程度が低いことが特徴ですが、その既存IDPRはウイルスの機能と毒性に大きく寄与するため、抗ウイルス薬設計の有望な薬剤標的です。

IDPは広範囲に渡っており、オーダーしたタンパク質の機能を補完する多くの重要な生物学的機能を持っています。 ただし、不適切な機能(異所性発現、誤処理、誤制御など)が発生すると、IDP / IDPRは望ましくない相互作用を起こし、さまざまな病理的状態の発症に関与する傾向があります。 実際、神経変性や糖尿病、心血管疾患、アミロイド症、そして遺伝性疾患に関連する多くのタンパク質、そして大部分のヒト癌関連のタンパク質は、IDPであるか、または長いIDPRを含んでいます

構造生物学の手法は医薬品開発に利用できますが、合理的な製剤設計の実践は、伝統的に標的タンパク質の天然変性の存在を過小評価してきました。 SARS-CoV-2およびその他の病原性プロテオームにおける天然変性タンパク質領域の構造を理解することは、COVID-19そしてそれ以降の医薬品開発にとって明確に大きなメリットがあり、製剤設計の限界を押し上げ続けることでしょう。  

 

治療革命 - COVID-19におけるRNAとその将来

Janet Sasso , Information Scientist, CAS

photo showing sample vials of RNA based therapeutics

「私たちは治療革命の真っ只中にいます。」 Frontiers in Bioengineering and Biotechnologyの最近の記事では、このように書かれています。 これは、RNA治療薬が現代の研究および臨床開発においていかに急速に拡大しているかということに対するコメントですが、現在進行中のSARS-CoV-2パンデミックのためのRNA COVID-19ワクチンに対する高い関心も、これを推し進めているひとつの要因です。  

従来、製薬開発は、いわゆる低分子医薬品(分子量が小さい有機化合物と定義されます)が中心であり、現在でもなお医療現場ではその多くが応用されています。 ところが、バイオテクノロジーと分子生物学の進歩により、モノクローナル抗体組み換えタンパク質からオリゴヌクレオチド遺伝子や遺伝子断片といった高分子化合物を薬剤候補として設計することが可能になりました。 その結果、今日有効な治療道具として「生物製剤」が重要な役割を果たすようになりました。 2020年初頭の時点で、生物製剤は世界で最も売れている医薬品トップ10のうち7つを占めるまでになっています。

さらに、核酸をベースとする医薬品設計も台頭してきており、現在は急速に拡大しています。 RNA治療薬の臨床開発は効率や免疫原性などの課題によって従来阻まれてきましたが、近年のmRNA COVID-19ワクチンの成功や、RNAベースの医薬品がいくつか承認されたことによって、この分野は大きく勢いづいています。 そこで、出版公表された科学知識を人手で精選し収集したものとしては世界最大のデータベース、CAS コンテンツコレクション™を使って、現代医学におけるRNAの応用を分析します。


関連のCAS Insights Report、『RNA由来の医薬品 - その研究トレンドと開発の考察』もあわせてお読みください。


RNA治療薬のメリットと課題

「アンドラッガブル」を標的にする

RNA療法の大きな利点は、低分子をベースとした薬剤では標的しにくい、もしくは不可能な「アンドラッガブル」な分子をRNA薬剤で標的にできるということです。 低分子や抗体など一般的な薬品で標的できるタンパク質はわずか5分の1程度に過ぎず、従来の低分子やモノクローナル抗体では非コードRNAを標的とすることは不可能です(タンパク質受容体や酵素の活性部位ポケットに結合するため、翻訳が必要となります)。  

合成のしやすさ

RNA製品は、製造工程の簡易性や費用対効果そしてスピードの点で、タンパク質よりも大きな製造上の有利点があります。これは最近のRNAワクチン開発において、特に関連性あるものになりました。 また核酸をベースにした戦略も、哺乳類細胞の細胞機構を利用することにより、翻訳後の変化といった複雑な合成プロセスの必須条件を回避できます。

さらに、RNAの配列を迅速に調整することで、さまざまな標的に対応したカスタム分子を提供することもできます。 これにより、COVID-19 RNAワクチンの迅速な開発で見られたように、開発プロセスを大幅に加速化させることができます。  

安全性と副作用

DNA薬品は核内に入ることから、宿主のゲノムに統合される可能性があり、その安全性が懸念されます。 ゲノムを編集するCRISPR-CasシステムのRNAを除き、RNAはゲノム物質を改変することはしないため、ゲノム統合のリスクはありません。  

ただし、RNA治療には副作用のリスクとなる特異性の問題があり、また分解しやすいために薬力学的に劣り、その使用が複雑になる可能性があります。 こういった問題の中には、RNAを化学的に修飾することで軽減可能なものもあり、その研究に注目が寄せられています。

送達

RNA治療薬は、低分子治療薬に比べてサイズが大きく、そして電荷が高くなっている場合が多いため、そのままの形では細胞内への送達が困難な傾向があります。  

RNA治療薬の研究トレンド

1995年以降、RNA治療薬に関する情報を含む学術誌や特許の数は着実に増加しています。2001年頃には特許数がピークに達し(これは腫瘍抗原をコードしたmRNAでトランスフェクトした樹状細胞を用いた最初のヒト臨床試験に関連しているものと考えられます)、そして2020年にはジャーナルでの言及が急増しています(こちらは、COVID-19 mRNAワクチンに対する関心から生じたものと考えられます)(図1)。

CAS コンテンツコレクションの医療用RNAに関連する出版物の数を示すグラフ
図 1: CASコンテンツコレクションにおける医療用RNAに関連するジャーナル記事と特許の 年別件数

RNA研究は、特にsiRNAやmiRNA、lncRNA、そしてCRISPRの領域で新しいタイプのRNAが発見され、徐々に多様化してきています(図2)。 circRNAとexosome RNA、lncRNA、そしてCRISPRの論文数の増加率は、それ以外のものよりも大きく加速しています。 とりわけCRISPRの技術は、2020年のRNA関連の特許出願全体の20%を占めています。 これは、CRISPRをベースとした治療法に基づいた臨床試験実施に対する承認数の加速と一致しています。

1995年から2020年までのRNA種別の出版物件数の推移
図2:1995年から2020年までのRNA種別の出版物件数の推移。 パーセンテージは、各RNAの種類について、1995年から2020年までの年間の出版件数を総出版物数で正規化したものから算出。 

新しく発見されたRNAの機能に干渉することは、従来の治療法の弱点を克服するための有望な治療手段と考えられています(表1)。

表1:さまざまな種類のRNAにおける治療機能
RNAの種類 治療機能
mRNA mRNA治療薬の基本原理は、in vitro転写されたmRNAを標的細胞に送り込むことで、mRNAが機能性タンパク質、すなわち抗体や抗原、そしてサイトカインに翻訳されるというものです。
siRNA 標的mRNAの分解を通じて、既知の遺伝的背景に関連する様々な疾患の原因に対し、siRNAは配列特異的な遺伝子サイレンシングを媒介します。
miRNA miRNA は、標的としたmRNAの分解やmRNA の翻訳抑制を仲介することで、複数の異なる標的遺伝子の発現を同時に阻害することがあります。
IncRNA lncRNAは構造的に複雑なRNA遺伝子の大きなグループで、DNA、RNA、タンパク質分子(ヒストン)と相互作用し、エピジェネティックな修飾 (主にメチル化、アセチル化を介して)によって遺伝子転写を制御できます。
circRNA circRNA は、タンパク質を囲い込んだり、細胞内コンパートメント間でタンパク質の輸送を行ったりできます。 circRNAの調節異常は、特にがんや心血管系疾患、そして神経系疾患など、様々な疾患に関与していると考えられています。 組織特異性や細胞特異性では、機能獲得や機能喪失のアプローチはcircRNAの発現を使って行うのが一般的になっています。
piRNA piRNAはpiwiタンパク質と結合してpiRNA/piwi複合体を形成し、トランスポゾンのサイレンシングや精子形成、ゲノム再編成、エピジェネティック制御、タンパク質制御、そして生殖幹細胞維持に影響を及ぼします。
リボザイム RNA酵素(リボザイム)は触媒RNA分子で、標的RNAを高度に配列特異的に認識し、病原性遺伝子の下方制御や修復を行います。 そのため、先天的な代謝異常からウイルス感染症、がんなどの後天性疾患まで、さまざまな疾患の治療に用いることができます。
エクソソーム RNA エクソソームは細胞外ナノベシクルの一種で、様々な病的兆候の診断や治療に用いられています。 現在では、臨床診断におけるエクソソームRNA検出の可能性が研究されています。 また、エクソソームを用いた低分子RNAの送達は、標的RNAの触媒的分解または翻訳停止により、強力かつ特異的な転写後遺伝子制御ツールとして治療目的に使用されています。
CRISPR CRISPR-Cas9システムは、ゲノム編集や遺伝子機能調査、そして遺伝子治療などに利用できる最も汎用的で効率的な配列特異的遺伝子編集技術のひとつです。 今までのところCRISPR-Cas9は、デュシェンヌ型筋ジストロフィーα1-アンチトリプシン欠損症血友病難聴、そして造血器疾患などの遺伝子疾患に幅広く応用されてきています。

 

RNA治療薬が対象とする治療領域

感染症とがんが、最も大きな伸びを示しており、また研究段階にある治療薬の数も最も多くみられます(図3、図4)。 COVID-19のパンデミックにより、感染症に対するRNA医薬品は、研究フェーズおよび承認された治療薬両方ともその数が急増しており(図4)、初めてのmRNA承認治療薬も市場導入されました。

RNA治療薬が標的とする特定の疾患に関する年間の特許公報の件数を示すグラフ
図3:RNA治療薬、ワクチン、そして診断法が標的とする特定の疾患に関する年間の特許公報件数
異なる開発段階にある潜在的治療薬とワクチンの数
図4:さまざまな種類の疾患について、異なる開発段階(前臨床、臨床、完了、撤回、承認)にある潜在的な治療薬とワクチンの数 

 

RNA治療薬における課題の解決

RNAを分解から保護し、そして標的特異性を向上させ、標的外作用による副作用のリスクを低下させるためには、RNAの化学修飾を利用することができます。 また化学修飾に加えてRNAを分解から保護し、治療薬を所望の標的へ届けるのを補助するには、ナノ材料からなる送達担体を使うこともできます。

CAS コンテンツコレクションのデータによると、RNA修飾の利用は1995年から急増し、また配列の長さが比較的短いものと関連していることがわかっています(図5)。 18-27ntの修飾RNAが多いのは、特定の形態のRNA(siRNAとASO)でこの配列の長さが使用されていることを反映しています。 FDA認可のRNA医薬品における修飾を調べてみると、RNAの種類とその修飾の相関関係が確認できます。

修飾を含んだRNA配列とその配列の長さによる分布
図 5:修飾を含むRNA配列とその配列の長さによる分布(CASコンテンツコレクションより)。 ブルーのバー:修飾RNAの配列の絶対数。オレンジの線:同じ配列の長さを持つ全RNA配列に占める修飾RNA配列の割合。

RNA塩基の修飾

水素結合の形成を妨げる修飾を施した非標準型ヌクレオチドは、標的との二重鎖の形成を熱的に不安定にし、そして標的外結合を制限することで、標的特異性を向上させることができます。 また、修飾により、治療用RNAの性能を向上させることもできます。 COVID-19 mRNAワクチンなどの治療用mRNAへの修飾塩基N1-メチルシュードウリジンの使用は、翻訳の改善と、mRNAに対する細胞毒性副作用や免疫反応の低下をもたらします。 ファイザー社のComirnatyもモデルナ社のSpikevax mRNAワクチンも、mRNAの5'末端に5'三リン酸で結合した7-メチルグアノシンキャップを使用しており、自然界に存在するmRNAキャップを複製することでmRNAの5'末端の分解を防いでいます。


リボースの修飾

RNAのリボースの2'位の修飾で安定性を高め、そしてオフターゲット効果を低減させることができます。 最も一般的な2'位の修飾としては、2'-O-メチル、2'-フルオロ、2'-O-メトキシエチル(MOE)、2'-アミンなどがあります。

骨格の改変

糖-リン酸骨格のリン酸基の修飾は、膜を横切る輸送の妨げとなる負の電荷を中和することでRNAの送達を改善し、ヌクレアーゼに対する抵抗性を高めることで組織排除半減期を延長させることができます。 最も広く用いられている骨格修飾のひとつがホスホロチオエートです。

RNAナノキャリア関連の研究

免疫原性やヌクレアーゼ安定性などの生物学的障壁は、通常RNAの化学構造を改変することで対応しますが、体内の他の障壁を克服するためには、さらなる送達システムが必要です。 ナノ粒子へのRNAのカプセル化は、RNAの保護と送達を成功させる方法です。 現在、CASコンテンツコレクションには、RNA送達システムに関する科学論文が7,000件近く登録されています。 RNAキャリア関連の研究は、脂質ナノ粒子が大部分を占め、高分子ナノキャリアがそれに続いています(図6)。

CASコンテンツコレクションにおける RNA ナノキャリア関連文書の割合の分布
図 6:CAS コンテンツコレクションにおける RNA ナノキャリア関連文書の割合の分布

まとめ

RNA治療薬は急速に拡大しつつある薬剤の分野で、多くの疾患に対する標準的な治療法を変えるものとして期待されています。 RNA治療薬は、低分子や生物学的分子をベースとした従来の医薬品と比較して費用対効果が高く、製造が比較的簡単で、これまで「アンドラッガブル」とされていた部位を標的とすることができるなど、いくつかの利点があります。 安定性や送達、そしてオフサイト効果に関する伝統的な課題は、化学修飾やRNAナノキャリアによって解消または軽減することが可能です。 CAS コンテンツコレクションで検索すると、COVID-19などの感染症やがんがRNAの重要な治療分野であること、またcircRNAやexosome RNA、lncRNA、そしてCRISPRの論文件数の増加率が特に高く、CRISPR関連の研究が現在爆発的に増えていることなどがわかります。


専門家から聞く

さらなる洞察を得るには、最近のACSウェビナーをご覧ください。RNA治療のリーダーが、今どんなことに携わっているか知ることができます。 このパネルディスカッションでは、以下の多様な研究分野の方々をお招きしています。

  • ジョン・P. クーク博士。RNA治療センター メディカルディレクター
  • ロバート・デロング博士。カンザス州立大学ナノテクノロジー・イノベーション・センター准教授
  • バーブ・アンブローズ博士。CASシニアインフォメーションサイエンティスト
  • ラマナ・ドッパラプディ博士。Avidity Biosciences社 化学部門副社長
  • 司会者:ジル・ジョージス博士。CAS社 副社長兼最高科学責任者

 

標的タンパク質分解誘導薬:​ 創薬における分子糊の展望

CAS Science Team

Molecular glues blog thumbnail

分子糊、標的タンパク質分解誘導薬など、ますます多くのアプローチが臨床の場で混在している現在、この新たな分野の状勢を俯瞰しておくことは、がん、自己免疫疾患、神経変性疾患などの治療領域において重要な意味合いを持ちます。 より詳しく知るには、CASのユニークな洞察と将来のビジネスチャンスを見据えた最新のホワイトペーパーをお読みください。

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サル痘 - 科学的にはどの程度心配するべきか

Janet Sasso , Information Scientist, CAS

Monkeypox virus cellular depiction

COVID-19のパンデミックでウイルスに対する意識が高まる中、世界各地でサル痘発生のニュースが流れ、多くの赤信号が発せられています。 サル痘は、中央・西アフリカに限定して常在するウイルスですが、 今回のアウトブレイクは、今までとは異なる形で、またこれまで感染しにくかった人の間にも広がっています。 現在、300件以上の確定症例または疑わしい症例がアフリカ以外の少なくとも19カ国で認められており、さらに多くの症例が調査中です。 CAS コンテンツコレクション™を活用することで、サル痘に関する研究環境や治療法の選択肢、そして類似ウイルスでの科学プロファイルなど独自の洞察を得ることができます。   

サル痘とは

サル痘ウイルスは、ポックスウイルス科、オルソポックスウイルス属に分類されます。 CASコンテンツコレクションには、サル痘ウイルスの系統発生が掲載されています。 小児皮膚病のひとつである伝染性軟属腫と同じ科であり、ワクシニアウイルス(牛痘ウイルス)やバリオラウイルス(天然痘ウイルス)などのウイルスと同属であることがわかります。 ただし、一般的に知られている水痘ウイルス(水ぼうそう)との関係はありません。 1958年に研究用サルのコロニーが痘瘡様疾患を発症したことから初めて発見され、最初のヒトの症例は1970年にコンゴ民主共和国(DRC)で報告されています。 それ以降は、流行国以外で発生した症例はすべて、流行国からの渡航者または感染した輸入動物に限られていました。 サル痘は人獣共通感染症に分類され、その感染経路は主に動物からヒトへ、またはその逆からでした。 しかし今回のアウトブレイクでは、非流行国でヒトからヒトへの感染にシフトしていることから、多くの人々を困惑させ、そしてこの奇病が紙面を賑わせるようになりました。

ポックスウイルス科の4種の部分系統図。
図1. ポックスウイルス科の4種の系統図。   (これはポックスウイルス科のスナップショット。 現在、ポックスウイルス科には83種が存在する。)  

 

サル痘に関する研究発表の状況

CAS コンテンツコレクションで分析すると、オルソポックスウィルスの研究は1980年代後半に増加し始め、このカテゴリーでは3万件の学術論文と特許が存在しています。 予想通り、サル痘の論文・特許は1200件程度と非常に少なく、2000年代前半に論文がわずかに増加した程度で、その後2003年から2021年までも比較的安定した状況になっています。

 

オルソポックスウイルスとモンキーポックスウイルスに関する過去20年間の研究動向を示した図
図2. オルソポックスウイルスとモンキーポックスウイルスに関する過去20年間の学術論文と特許を含む研究動向。 

 

表1. サル痘ウイルスを研究している企業・研究機関トップ10

企業・研究機関 論文及び特許の数
国立衛生研究所(米国)
38
米国疫病対策センター 35
米国陸軍伝染病医学研究所 26
セントルイス大学 14
ロベルト・コッホ研究所 9
オレゴン衛生科学大学 7
南イリノイ大学 7
Chimerix Inc. 6
ラホヤ免疫学研究所 6
ユタ州立大学 6

 

サル痘はどのように感染するのか   

サル痘ウイルスは二本鎖DNA(dsDNA)ウイルスで、ゲノムの大きさは約190kbです。 一方、SARS-CoV-2は一本鎖RNAウイルスで、ゲノムの大きさは約30kbです。 SARS-CoV-2は非常に小さいため、エアロゾル化して空中を6フィート(1.8m) 以上移動可能であることは周知の通りです。 一方、サル痘ウイルスのサイズははるかに大きく、エアロゾル化せず、移動しても数フィートで空気中に落下します。 また、サル痘ウイルスはSARS-CoV-2ウイルスのように空気中に滞留することもありません。 ヒトからヒトへの感染が空気感染によって起こるためには、感染者との長時間の対面接触が必要です。 また、体液や病変部に直接触れたり、衣服や寝具などを通して病変部の物質に間接的に触れたりすることでも感染します。 動物からヒトへの感染は、咬まれたり引っかかれたり、野生動物の肉の調理、あるいは体液や病変部との直接または間接的な接触によって起こります。 ウイルスは、皮膚の傷口や気道、または粘膜から体内に侵入します。 サル痘ウイルスは、SARS-CoV-2ウイルスと比較してサイズがずっと大きいDNAウイルスであるため、変異する速度が非常に遅いというのもプラスの意味で対照的です。 そのため、歴史的にも現在においても、ワクチンは非常に有効です。

現在のサル痘の遺伝子プロファイル

DNAウイルスは通常安定しており、RNAウイルスと比較すると、変異のスピードも極めて遅くなっています。 2022年5月19日、ポルトガルの研究者が初めてゲノムのドラフト配列を共有しました。そして5月23日、現在の複数国でのアウトブレイクを引き起こしているサル痘ウイルスの9つのゲノム配列を追加で公開しました。 現在の予備的なゲノムのドラフト配列は、現在の流行が標準的な西アフリカ株に属し、2018年と2019年にナイジェリアから複数の国への動物輸出に関連したサル痘株と密接な関係があることを示しています。 研究者らは、現在の流行は単一の起源に由来する可能性が最も高いものの、2018/2019年の配列とは50個の低分子核酸多型 (SNP) で分岐していると観ています。 また、このアウトブレイクのクラスター内で最初のミクロ進化の兆候を発見し、7つのSNPの出現により、さらに2つの配列からなるサブクラスターを含んだ3つの子孫の枝が形成されたことを明らかにしました。 この2つの配列のサブクラスターは、913bpでフレームシフト欠失するため、ヒトからヒトへの感染と関連していると思われます。 このミクロ進化により、このゲノム配列に十分な分子単位での解像度が出るため、このアウトブレイクにおけるウイルス拡散を追跡するという、多くの場合他のdsDNAウイルスではできないことができるようになるかもしれません。   

SciFinderでのサル痘ウイルス配列表示の一部
図3. CAS SciFinderのサル痘ウイルス配列表示の一部。 完全な記録は
こちらで閲覧できます(お客様専用)。" data-entity-type="file" data-entity-uuid="f75ec9aa-3a72-4ae8-a442-86878c52bd6f" src="/sites/default/files/inline-images/monkeypox-sequence-scifinder.png" />

ワクチン接種とサル痘治療候補

ワクチンは一般向けには直ちに提供されませんが、米国政府は現在、初期患者の一部ハイリスク接触者のために、国の戦略的国家備蓄からJYNNEOSワクチンを開放しています。 表2は、現在行われている予防接種と可能な治療法をまとめたものです。

表2. サル痘ワクチンと可能な治療法  

名称およびCAS登録番号 注意
ワクチン  
JYNNEOS (Imvamune/ Imvanex) * 
1026718-04-6 
米国でサル痘、天然痘の予防薬として認可されている。 サル痘に対して最低85%の予防効果。
ACAM2000* 
860435-78-5
サル痘感染者に対しては、拡張された investigational new drug(IND - 治験新薬)プロトコルに基づき使用可能。 天然痘の感染リスクが高い18歳以上への予防接種として認可。  
可能な治療法  
Cidofovir 
113852-37-2
in vitroおよび動物実験に基づき、ポックスウイルスに対する活性が証明されている。 腎毒性の副作用。
Brincidofovir (CMX001) 
444805-28-1 
in vitroおよび動物実験に基づき、ポックスウイルスに対する活性が証明されている。 Cidofovirよりも安全性プロファイルが向上。
Tecovirimat (ST-246) 
869572-92-9 
動物実験で、オルソポックスウイルスによる疾病に有効であることが示されている。 ヒトでの臨床試験では、安全性と忍容性が確認され、副作用は軽微であることが示された。 現在、戦略的国家備蓄品として備蓄されているがIND下においてのみ使用可能になっている。
Vaccinia Immune Globulin (VIG) VIGの使用はINDの下で実施されているが、天然痘の合併症の治療における有益性は証明されていない。 VIGは、曝露者が重度のT細胞機能不全で、サル痘への曝露後の天然痘ワクチン接種が禁忌である場合に予防的使用の検討を可能とする。


展望

1980年に世界保健機関が天然痘の根絶を宣言したことに伴い、天然痘の根絶計画は世界的に終了しました。 どんな予防接種でもそうであるように、免疫は時間の経過とともに低下します。1980年以降に生まれた人は、天然痘の予防接種を受けていないため、サル痘ウイルスから守られていないことになります。 研究によると、DRCで天然痘ワクチン接種が終了してから30年後、ヒトのサル痘感染率が大きく上昇したという結果が見られます。 この事と、サル痘の研究はあまり進んでいないという事を合わせると心配になる人もいるようですが、同じウイルス科の他のウイルスについては、広範囲の研究がなされています。 ワクチン接種、治療法、感染率の低さなど、今回の流行はコントロール可能な状況であり、グローバルな影響は最小限に抑えられるはずです。 まだすべての事例が特定されているわけではありませんが、ウイルスに対する認識と公衆衛生上の予防措置により、サル痘ウイルスは非流行国での蔓延を食い止めることができるはずです。   

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