内なる敵:SARS-CoV-2が人体のタンパク質を利用して細胞に感染する仕組み

Roger Granet , Information Scientist, CAS

Viral spike-protein structure depiction

COVID-19の治療法開発を急ぐうえで重要な手順は、ウイルスが人の細胞内に侵入する仕組みを科学者が正しく理解することです。 この知識は、その感染経路をブロックすることを標的とした抗ウイルス治療法の開発を支えます。

2002年に出現して大流行を引き起こした最初のSARS-CoVの研究と、現在COVID-19を引き起こしているコロナウイルスSARS-CoV-2の研究では、ウイルスの膜から隆起するスパイク(S)タンパク質がヒト細胞表面にある少なくとも1種類のタンパク質、アンジオテンシン変換酵素2(ACE2)と結合することが明らかになっています。 結合の後で他のタンパク質を分割、切断または刺激するヒトの酵素であるプロテアーゼは、スパイクタンパク質外側の切片(S1)を取り除き、内側の切片(S2)を露出させます。 スパイクタンパク質のS2切片はウイルス細胞膜とヒト細胞膜を結合させ、ウイルスの遺伝情報が細胞内に侵入して複製を開始します。 最近の記事では、ACE2の役割に焦点を当ててこのプロセスをまとめています。 この記事では、ウイルスが人体に侵入する際、それを助けるヒトプロテアーゼの役割を詳しく説明し、そしてその相互作用を標的とする抗ウイルス治療にも注目します。

 

 

SARS-CoV-2のスパイクタンパク質:2つの切片について

SARS-CoV-2のスパイクタンパク質は、頭が大きく細長い軸を持ったネジのような形をしています(図1)。 3つのスパイクタンパク質が結合して三量体を形成し、予測通り、さらに大きなネジのような形になります。 軸がウイルスの細胞膜に挿入され、頭の部分をウイルスの外部に向けています。 この大きな頭の部分と軸の一部が、スパイクタンパク質のS1領域です。 ウイルスの膜に近い軸の残り部分がS2領域となります。

ウイルスのスパイクタンパク質の構造図
図1 ウイルスのスパイクタンパク質の構造

 

これが体内に侵入して呼吸器系、消化管、血管、その他の表面にACE2を発現する細胞と接触すると、スパイクタンパク質のS1領域が細胞表面のACE2に結合し、人細胞の外側にウイルスを繋ぎ止めます。 これがウイルス複製プロセスの最初の段階です。

何らかの方法でSARS-CoV-2が細胞に侵入

ウイルスが細胞と結合した後の侵入経路には2つの異なる可能性があります(図2)。 使用される経路は、スパイクタンパク質を「準備する」ヒトプロテアーゼが存在するかどうかによって変わります。 プロテアーゼの有無はウイルスが侵入する人細胞の種類およびその細胞の特定の状況によって異なります。 いくつかのヒトプロテアーゼはスパイクタンパク質を分割できます。これにはII型膜貫通型セリンプロテアーゼ(TMPRSS2)、フリン、エラスターゼ、トリプシンが含まれます。 TMPRSS2は人の肺細胞に発現します。 よって、呼吸器系の細胞へのウイルス侵入において重要な役割を果たしていると考えられています。

これらのプロテアーゼがスパイクとACE2の結合面付近に存在している場合、スパイクタンパク質が分割されてS2領域、具体的にはスパイクタンパク質の融合ペプチド領域が露出します。 このスパイクの融合ペプチド領域は、より疎水性が高い、脂質様のアミノ酸であるため、脂質を含む細胞膜に挿入され、ウイルス膜と細胞膜の融合と、その後のウイルス遺伝子の細胞への侵入を誘導します(図2a)。 この分割は、スパイクとACE2の結合後に発生する必要があります。 その前に生じた場合は、細胞へのウイルスの感染力は弱まります。

SARS CoV-2の侵入経路図
図2 2種類の経路のいずれかによるSARS-CoV-2の侵入

 

スパイクとACE2の結合面の近くにプロテアーゼが存在しない場合、ウイルスは食作用という別の経路で細胞に侵入します(図2b)。 このプロセスでは、細胞外のACE2タンパク質に結合したコロナウイルスは細胞膜の小さな領域の圧入により貪食され、細胞内小胞の形で外部の物質を細胞内に取り込みます。 これが生じると、細胞内小胞はエンドゾームという細胞内膜壁小胞に融合します。 エンドゾーム内にはカテプシンLというプロテアーゼが存在します。これがスパイクタンパク質を分割し、融合ペプチド領域を露出させます。 融合ペプチドはウイルス膜とエンドゾーム膜の融合を媒介し、その後のウイルス遺伝子の細胞への侵入を誘導します。

最近のエビデンスでは、SARS-CoV-2が細胞に侵入する第3の経路の存在が示唆されています。 ウイルスが複製して新しいウイルス粒子を細胞内に生じさせる際に、新しいウイルス構築プロセスで一部のスパイクタンパク質がフリンにより既に分割(刺激)されている可能性があります。 これは、上記2つの「通常の」スパイクタンパク質分割経路に存在しているプロテアーゼの量が他の細胞で低い場合であっても、ウイルスが細胞内に広がる時既に刺激されたスパイクタンパク質を持つウイルスが他の細胞に融合して感染する可能性があることを意味しています。

対処方法の計画

研究者は、COVID-19の感染を妨げるために、感染過程におけるスパイクとACE2、膜融合、食作用の部分を標的にした薬剤を開発すべく懸命に努力しています。 前回の記事では、潜在的な治療方法として組み換え可用性ACE2に焦点を当てました。 これはSARS-CoV-2が細胞表面のACE2に結合する前に、スパイクタンパク質を非活性化する作用があります。 しかし、その他の多くの候補薬も検討されています。

NafomastatMI-1851はスパイクタンパク質の分割に関与するプロテアーゼであるTMPRSS2とフリンをそれぞれ阻害します。試験管ではSARS-CoV-2感染を減らす可能性を示しています。 スパイクタンパク質の小さな領域に類似している非常に短いタンパク質であるペプチドは、膜の融合プロセス中に形状が変化する際、ウイルスの刺激されたスパイクタンパク質を妨害することで、ウイルスと人の細胞膜との融合を阻害することが示されています。 これによりウイルスの侵入を防ぎます。 最後に、PIKfyve阻害剤はSARS-CoV-2感染の既知の遮断薬です。 PIKfyveはヒトの脂質キナーゼで、特定の脂質にリン酸基を加える酵素の一種です。 PIKfyveはウイルス侵入のエンドサイトーシス経路におけるエンドソームの代謝に関与しているため、PIKfyve阻害剤には抗ウイルス活性効果があることになります。

これらは、SARS-CoV-2ウイルスの侵入阻害薬として研究されている数多くの候補薬のうち数例にすぎません。 他にもCOVID-19の治療法として研究の対象となる多くの標的が存在しています。 スパイクタンパク質、ACE2、スパイクタンパク質を分割するプロテアーゼ、食作用経路の構成要素は、すべて研究対象となる可能性があります。そして、これらの標的それぞれに関連する抗ウイルス活性を持つ物質も数多く存在しています。 科学者がこれらの有望な候補薬を迅速に特定できるように、CASはCAS REGISTRY®から抽出したオープンセットのデータセットを公開しました。これには既知の抗ウイルス薬と既知の抗ウイルス薬と構造的に似ている関連化合物が記載されています。 詳細やダウンロード、およびその他のCASオープンアクセスのCOVID-19関連リソースはこちらからどうぞ。

 

カンナビノイド研究の科学的トレンド

Shannon Epling , Content Manager, CAS

cannabinoid compounds as potential therapeutics

カンナビノイドは、カンナビスサティバ(アサ)から分離される天然に存在する化合物です。 カンナビノイドで最もよく知られたものとして、デルタ-9-テトラヒドロカンナビノール(THC)とカンナビジオール(CBD)の2種類があります。 THCは「ハイ」になることに関係する大麻の精神活性成分です。THCとその派生物について入手可能な情報は豊富にあるので、このブログでは、あまり知られていないカンナビノイドについて、科学論文で議論されている主要な薬効と、その化学構造をより深く研究することに焦点を当てています。  

CBDを含む市販製品は大幅に増加しています。オイルや美容およびスキンケア製品、治療薬、飲料、チョコレート、グミ、そして犬のおやつまであります。 本ブログは、このような製品を推奨するものではありません。大麻は米国の連保法のレベルでは違法であり、スケジュールクラスI薬物であることに注意することが重要です。 しかし、一般に消費されている商品は主に「栄養補助食品」として販売されているため、食品医薬品局(FDA)の承認を受ける必要はありません。そのため、人間の健康への影響を理解することが非常に重要になってきます。

カンナビノイド研究のトレンド

治療効果といった観点からカンナビノイドの現在の研究内容を探索するにあたり、カンナビジオール(CBD)をカンナビノイドのモデルとして調査すると、CAS SciFindernを使って素早く検索した結果、5000件足らずの引用が見つかりました。

CBDに関する出版物のトレンド
図1. このグラフは、発行年(2000-2021)別に、カンナビジオール(CBD)の治療への応用に関連してCASが収集した文献数を示しています。 統計情報はCAS SciFinderより。

この結果を詳しく見ていくと、人を対象とした臨床研究の文献は200件未満しかなく、前臨床研究(動物、in vivo、in vitro、ADMEおよびin silico)の結果も550件未満であることがわかります。 これは、製薬会社や化粧品メーカー、栄養剤関連企業そしてその他の企業が、今後人類の利益のためにカンナビノイド研究を進める機会があることを表しているかもしれません。  

カンナビノイドが人体に吸収される仕組み

これは、主に4つの投与経路に分けられます。

  • 吸入
  • 舌下
  • 経口摂取
  • 局所吸収

最も一般的なカンナビノイドの使用方法は、植物素材の喫煙と、カンナビノイドオイルの蒸気をベイピングする、つまり吸入する方法です。 カンナビノイドが肺に入ると、直ちに吸収され、急速に体外に排出されます。 吸入は、大麻を使用する際に好まれる方法です。

もう一つの投与経路である舌下ですが、カンナビノイドを含む油またはチンキ剤を舌下に含むことで血流に直接吸収されます。 この方法はより迅速で、また長時間効果を持続させることができます。 カンナビノイドは経口摂取も可能です。 人体は食用カンナビノイドを代謝しますが、望ましい効果が得られるまでに長い時間がかかる可能性があります。 また、カンナビノイドはクリーム、ローション、スプレー、パッチ、軟膏など局所用剤としても使用できます。 筋肉痛や皮膚疾患などの治療を受けているような人に好まれる吸収方法です。 この場合カンナビノイドは皮膚から血流に直接吸収されます。

カンナビノイドでは THCが最も有名ですが、CBD、CBG、CBN、CBCなど向精神作用のないカンナビノイドの化学構造とその効果を詳しく理解することで、新たな製品の情勢に関する洞察が得られます。

カンナビジオール(CBD)

カンナビジオール(CBD)の化学構造
図2. カンナビジオール(CBD)の化学構造 - CAS 登録番号 13956-29-1


THCの次に最も有名なカンナビノイドは、おそらくカンナビジオール(CBD)です。 CBDはアサから直接得られ、向精神作用はありません。 CBDの合法性をめぐる状況は常時流動的であり、米国の各州におけるCBDを規制する法律は常に変化しています。 ハーバード大学医学部は、CBDが不安神経症、不眠症、慢性疼痛、関節炎、依存症の治療に使用できると認識しています。 特筆すべきは、CBDが重症小児てんかん性疾患を治療するFDA承認薬の成分であるということです(例:エピジオレックス)。 CBDの主な副作用は、吐き気、倦怠感、神経過敏です。 CBDを含む製品はFDAの規制対象ではないため、不純物があったり用量が不明だったりする可能性があります。 十分に注意して、常に信頼できる供給元からCBD製品を購入する必要があります。

カンナビゲロール(CBG)

カンナビゲロール(CBG)の化学構造
図3. カンナビゲロール(CBG)の化学構造 - CAS 登録番号 25654-31-3


CBGは1964年に発見されていますが、大麻植物における含有濃度が非常に低いため、CBDやTHCよりも使用頻度が低くなっています。 CBGは人体のカンナビノイド受容体であるCB1およびCB2との相互作用があります。 CBGがこれらの受容体に付着すると、意欲、食欲、睡眠、喜び、痛みに影響を与える神経伝達物質が増加します。 また、セロトニンとアドレナリン受容体にも影響を及ぼします。 これらの受容体も神経伝達物質を制御するため、CBGは神経伝達物質の増加により「至福」分子と呼ばれることもあります。 カンナビゲロールは抗生物質効果があり、また眼圧を低下できることも示されています。

カンナビノール(CBN)

カンナビノール(CBN)の化学構造
図4. カンナビノール(CBN)の化学構造 - CAS 登録番号 521-35-7


カンナビノールは大麻植物から直接合成されるものではなく、THCの分解により生じる代謝物です。 植物素材が酸素に長時間さらされると、THCが分解しCBNが増加することがあります。 CBNは鎮静効果があるため、不眠症に役立ちます。 CBNの研究はまだ十分ではありませんが、いくつかの研究では、カンナビノールが抗生物質効果を持ち、緑内障を緩和し、食欲を刺激することが示さています。 マウスでは、CBNが筋萎縮性側索硬化症(ALS)の発症を遅らせることが示されています。 この有望な化合物は、治療用CBNを追求する有望な機会を研究者に与えてくれます。

カンナビクロメン(CBC)

カンナビクロメン(CBC)の化学構造
図5. カンナビクロメン(CBC)の化学構造 - CAS 登録番号 20675-51-8


CBCはCBGに由来し、特に他の抗生物質の治療に耐性のある感染症において、強力な抗菌効果を示します。 さらに、ラットを用いた複数の研究では、CBCが神経変性状態(アルツハイマー病)から脳を保護し、脳で新しい細胞の成長を促進する神経保護効果を有することが示されています。

CBCはカンナビノイド受容体とはうまく結合しませんが、痛覚に影響を与えるバニロイド受容体1(TRPV1)および一過性受容体電位アンキリン1(TRPA1)とは結合します。 CBCには抗がん作用も見られます。 繰り返しになりますが、人を対象とした研究では治療薬としてのCBCに関するデータは多くありません。しかし予備研究で特定された特性は、さらなる研究を促進することになるでしょう。

アントラージュ効果

多くの大麻製品は「フルスペクトル」のCBDを謳っています。つまり、製品にCBDだけでなく、ここで説明した他のカンナビノイドのほか、テルペン、エッセンシャルオイル、そして最大0.3%の(法制化)THCも含まれています。 これらのカンナビノイドを相互に組み合わせて使用することで、各化学物質単体での効果とは異なる「アントラージュ効果」と呼ばれる説に従い、最終的にその効力と有効性が増幅されます。 あまり技術的な説明はしませんが、提案されているアントラージュ効果のメカニズムでは、内因性カンナビノイド(アナンダミドと2-アラキドノイルグリセロール)の活性を高める外因性カンナビノイドと組み合わされた不活性脂質が関与しています。 この分野の研究は新しいものですが、いくつかの研究では、気分障害、不安障害運動障害てんかんで肯定的な結果が示されています。

将来的な展望と影響

カンナビノイドは、マリファナとの関連性およびTHCとその誘導体の精神活性作用のために、不当な批判を受けることがあります。 法的な懸念により、研究者はカンナビノイド研究の追求を思いとどまらせることもあるかもしれません。しかし、カンナビノイドに関する初期の研究では、単一成分として、および内因性カンナビノイドを活性化することや「アントラージュ効果」により、これらの化合物に潜在的な治療効果が認められ得るという明確なデータが存在しています。このブログでは、よく知られたカンナビノイドのみ取り上げたわけですが、実際は同定された化合物は100以上もあり、それどころか今後さらに増える見込みなのです。 願わくば、継続的な研究により、これらのカンナビノイド物質を取り巻く不当な評価が払しょくされ、衰弱性疾患の治療において薬剤としての可能性を最大限に発揮できるようになるでしょう。

正当な健康上の利益のためのレクリエーショナルドラッグの研究増加という新たなトレンドは、カンナビノイドだけに留まりません。LSDやモリー、「シュルーム」などのサイケデリック薬も、今後うつ病やPTSDの治療薬となるかもしれなくなっているのです。

このブログで引用されている文献の、ヒトおよび哺乳類モデルにおけるカンナビノイドの潜在的な治療効果の表
潜在的な治療効果 CBD CBG CBN CBC
抗菌効果   X X X
抗がん       X
抗不安 X      
精神安定   X    
食欲増進   X X  
抗てんかん X      
運動障害 X      
苦痛 X X   X
鎮静効果     X  
不眠症   X X  
神経保護薬       X
関節炎 X      
依存症 X      
緑内障   X X  

 

 

グリーン水素経済に向けた素材研究のレビュー

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水素経済の実現を見据えて、数多くの技術が研究されてきました。 燃料電池による水素利用の分野では、さらなる効率化や応用を目指し、数多くの素材が生み出されてきています。

この査読付きの論文では、2011年から最近の新しいトレンドに至るまで、水素エネルギー研究の進展を詳しく紹介します。 この分野における研究の主な要素は、グリーンな水素の生産を可能にする触媒の素材と、燃料電池における技術的機能面で使用される素材です。 水素経済に関する研究の活動状況も詳細にわたって検討します。

グリーン水素経済 - 世界のエネルギー供給を一新させる革新的テクノロジー

Leilani Lotti Diaz , Information Scientist/CAS

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炭素排出がなく、また化石燃料の3〜10倍のエネルギー密度になっている再生可能な水素は、化石燃料への依存に終止符を打つことができる将来性を持っています。 ところが、現在のところ水素生産の96%は化石燃料によるものであり、持続可能ではありません。 本ペーパーではグリーン水素の経済(生産、貯蔵、利用)での新たなトレンドやユニークな機会などを浮き彫りにしながら、この分野の状勢を説明します。  

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COVID-19以外にも広がるナノテクノロジーによる治療の可能性

Rumiana Tenchov , Information Scientist, CAS

cas-insights-nanoparticles

世界的な疾患の大流行がこの分野の研究とイノベーションを加速させた結果、有望視されていたメッセンジャー(m)RNAワクチンが長い年月を経てようやく実現しました。 しかし、mRNAワクチンの成功は、mRNAを保護し細胞内に送り込む、もうひとつの重要な技術である脂質ナノ粒子(LNP)なくしてはあり得ませんでした。 本記事では、脂質ナノ粒子研究の展望と、COVID-19以外にも広がるナノテクノロジーの未来の可能性について説明します。


リポソームから脂質ナノ粒子に至る道のりについては、ナノテクノロジーの概要、薬物送達への応用、RNA革命を実現する上で果たした役割、化粧品、農業など将来的な可能性に関するCAS Insights Reportで詳しくご覧ください。


ナノテクノロジーとmRNAワクチン:サクセスストーリー

SARS-CoV-2との闘いにおいて複数のワクチンが採用されました。中でも、モデルナ製とファイザー/ビオンテック製の2つの脂質ナノ粒子ベースのmRNAワクチンが最も幅広く使用されたことは、COVID-19大流行への対応でナノテクノロジーが果たした重要な役割を物語っています。 これらのワクチンが2021年大規模に接種されたことでパンデミックの流れが変わり、COVID-19の症例数が顕著に減少しました。

しかしながら、ウィルスの急速な拡散により、 SARS-CoV-2の複数の新しい変異株が発生し、今後も変異株の発生が予測されています。これは公衆衛生上の大きな課題となっています。 デルタ株やオミクロン株といった懸念される変異株は、中和抗体の機能を弱めることで、ワクチンの有効性に影響を与えています。 このようなSARS-CoV-2変異株の課題に取り組む鍵を握っているのが、ナノテクノロジーです。 科学者たちは現在、この目的でナノ粒子、ワクチン誘導、中和抗体、人工中和抗体、「ナノデコイ」(おとり)など、さまざまなナノテクノロジーの利用方法を模索しています。 後者は、細胞に発現するアンジオテンシン変換酵素2(ACE2)受容体と相互作用する、デコイとなるナノタンパク質を作り、ウイルスとACE2の結合を阻害し、宿主細胞を感染から防ぐ方法です。 新型コロナウイルスの大流行の終息を早めるために、これらのナノテクノロジーが展開されていますが、この集中的な研究努力から得られた知見を、その他の世界規模の感染症など、アンメットニーズのある分野にどのように適用できるでしょうか。

脂質ナノ粒子技術の開発

将来の展望に目を向ける前に、脂質ナノ粒子技術のこれまでの歴史を振り返ってみましょう。 すべての始まりは1965年のリポソームの発見です。これは水中で自発的に集合して脂肪莢膜を形成する、閉鎖した脂質二重構造を持つ小胞です。 低分子の薬剤をカプセル化し、その水溶性を高められるため、研究者たちは直ちに薬物送達に応用できる可能性に気が付きました(40%以上の低分子薬は低い水溶性を示すことがわかっています)。 初めてリポソームを発見して以来、この技術は継続的に修正・改良され、脂質ナノ粒子の機能を最適化して非常に汎用性に優れた薬物送達プラットフォームとリポソーム医薬品を生み出してきました。

現在、COVID-19のmRNAワクチンの重要な構成要素として脚光を浴びていますが、脂質ナノ粒子は既に数10年にわたり医薬品として利用されてきました。 1995年には、抗癌剤ドキソルビシンのLNP製剤であるドキシルがリポソーム医薬品として初めて承認されました。 別のリポソーム医薬品であるEpaxalは、肝炎ワクチンとして使用されるタンパク抗原のLNP製剤です。 この進展に続いて、2018年にはアメリカ食品医薬品局がトランスサイレチン型遺伝性アミロイドーシスによる多発性神経障害の治療薬としてLNPベースの低分子干渉RNA薬Onpattro(パチシラン)を承認しました。 この重要なマイルストーンにより、ナノ粒子の送達を可能にする多くの核酸ベースの治療法について臨床開発の道が開かれました(脂質ナノ粒子の主要な進歩の年表については図1を、詳細についてはCAS Insights Reportを参照してください)。

ナノテクノロジーの進歩年表
図1 . ナノテクノロジーの進歩年表

ナノテクノロジーの図

ポストコロナの世界におけるナノテクノロジー

CAS コンテンツコレクション™の最近の分析では、脂質ナノ粒子に関連する研究の独特な状勢について調査しています。 この分析により、CAS コンテンツコレクション™に収録されている24万件以上のLNP関連の科学文献のうち、19万件以上が2000年から2021年のものであり、ナノテクノロジーへの関心が高まっていることが明らかになっています。 COVID-19での対応を踏まえて感染症対策にナノテクノロジーを応用することにより、ナノテクノロジーへの関心はさらに高まると予測されています。また、ナノ治療薬市場は2027年までに1640億ドル以上に達すると推測されます。

脂質ナノ粒子は長期間にわたり薬物送達システムの主流として認識されてきましたが、この技術にも制限があります。 LNPの第一世代とされるリポソームは、有機溶媒を用いた複雑な製造方法が必要なほか、封入薬では低効率を示し、大規模での実施は困難です。 固体脂質ナノ粒子とナノ構造脂質キャリアの開発など、主要なナノテクノロジーの進歩が一部の問題の克服に役立っている一方で(図 1を参照)、課題は残っています。 製造コスト、膨張性、安全性、ナノシステムの複雑さをすべて評価し、潜在的なメリットとのバランスを考慮する必要があります。 この技術の現在の制約を克服できるように、研究者は現在、次世代の脂質ナノ粒子に注目しています。より高機能で洗練された送達システムを見つけるためです。

表1:脂質ナノ粒子の種類:構造と役割

ナノテクノロジーの図

COVID-19のmRNAワクチンに対するナノテクノロジーの応用が成功したことで、マラリア、結核(TB)、ヒト免疫不全ウイルス(HIV)などの感染症の治療に対するこの技術の応用に、再び関心が高まっています。 ナノテクノロジーは、このような疾患の検出と治療のいずれも変革できる可能性を秘めています。 技術に汎用性があるため、リポソーム、ポリマーナノ粒子、ナノ薬物結晶に封入した治療薬を局所または全身に送達し、徐放または速放できることになります。 無限の可能性を秘めたテクノロジーです。

ただし、HIVなど一部の感染症は集中的な研究の的となっている一方で、マラリアや結核などの感染症はあまり熱心に研究されていません。 このようなアンメットニーズが存在する分野におけるナノテクノロジーの進歩は、資金調達(または資金不足)が歴史的に制約要因となっています。 しかし、この状況は変わりつつあります。 ジョンズ・ホプキンズ大学の研究チームは、遺伝子治療薬の送達に用いる脂質ナノ粒子の設計を迅速化し、そのプロセスを従来より安価に実現するプラットフォームを開発しています。 この研究チームは現在、この技術を利用し、肝臓に寄生するマラリア発症の原因となる寄生虫を標的としたマラリアワクチンを開発しています。

ナノテクノロジーの明るい未来

ナノテクノロジーは、科学、特に医学の分野で新たな地平を切り開きました。 COVID-19のmRNAワクチンの送達ベクターとしての脂質ナノ粒子の使用は、今後さらに研究の幅を広げることでしょう。 より高度で多機能なナノキャリア設計の薬が、現在または将来のアンメットニーズに対応することになります。

脂質ナノ粒子技術の過去、現在、未来の機会に関する、より詳細な状勢の分析については、CAS Insights Reportをご覧ください。

アルテミス計画の宇宙食研究から生まれた現実的な応用

Otilia Catanescu , Information Scientist/CAS

Space food for Artemis blog astronaut image

NASAのアルテミス計画は月面への再着陸を目指す驚くべきプログラムですが、これにより未来の人類の宇宙および地球での食の在り方を再定義するかもしれません。 宇宙空間で植物をうまく育てる各種の要件を理解するために、7つの植物に焦点を当てた実験が承認されています。 宇宙での農業に加えて、3Dプリンターによる食品、包装方法、マイクロバイオーム(微生物叢)の新規応用などの新しいイノベーションは、地球上の食料に大きな影響を与える可能性があります。 宇宙における食料計画の課題(保存期間の長さ、閉鎖循環サイクル、栄養、料理ができないこと)は、地球の厳しい環境における栄養不足の改善につながる場合があります。  

宇宙食に求められる基準

地上に暮らす私たちの多くは、食生活の多様性と栄養に注目していますが、宇宙食システム重要な条件としては、以下の点が挙げられます。

1. 食品の安全性:植物を育てる高度な閉鎖循環型エコシステム
による再利用、廃棄物処理、食品の腐敗防止の実現 2. 信頼性:宇宙の過酷な環境に耐え、保存期間が長く、必要な保管スペースが最小限で済むこと
3. 栄養密度と食事の楽しさ(食べやすい、種類が多い、簡単に調理できる、など)

宇宙には固有の課題が存在する

宇宙における植物の栽培には課題がいくつか存在します。無重力、直射日光が当たらない、スペースに限りがある、水の供給が限られている閉鎖したエコシステムであることです。 無重力のため調理が難しく、シャトルのリソースの負担(質量、電力、クルーの時間、水、廃棄物の処理)を最小限に抑える必要があります。 包装済みの食品は、栄養素の劣化や必要な容量が多くなることから、必ずしも実現可能とは言えません。 将来、深宇宙を探査するような場合、限りのある食料と水しかなく、補給の可能性がない状態で、何年も旅を続ける必要があります。

文献の発表と特許のトレンド

NASAや他の機関による宇宙食に関する文献の発表や特許の取得は、数十年前から続いています。 CAS コンテンツコレクション™を使用して、2000年から2022年までの宇宙食と生活システムに関連する世界の科学文献を調査しました。これらの研究環境では、大規模な新しい宇宙計画の発表が、世界中で将来の論文と特許の増加を加速していることがわかります。 例えば、国際宇宙ステーションでは1993年の最初の発表以来、膨大な量の取り組みが行われています。その後の論文や特許の増加は、それ以来実施された2,500回以上の実験と高い相関関係にあります。 同様に、2011年のNASA商業乗員輸送プログラムの発表後に研究が増加し、2017年のアルテミス計画の後にも対応する研究の増加トレンドが見られました(図1)。

宇宙探査用の宇宙食と生活システムに関連した年間論文数の推移を示すグラフ
図1. 宇宙探査用の宇宙食と生活システムに関連した年間論文数の推移

新たなソリューション:3Dプリンターによる宇宙食

この世のものとは思えないピザ 国際宇宙ステーションにおける食物の3Dプリントの新たな進歩は、地球上で直面している過去最大の食糧問題に多大な影響を与える可能性があります。 3Dプリンターは現在、食品に特定の成分を追加してさまざまなデザインでカスタマイズした食事を作れるようになっています。 今日の3Dプリンター用のインクには、乾燥肉、野菜、乳製品の粉末に、関連する微量栄養素を追加したものを使用できます。 印刷可能な食用インクとして最も一般的なものには、マッシュポテト、チョコレート、パン生地、チーズ、クリーム、ケーキの粉砂糖、フルーツなどがあります。

この技術は、宇宙食の消費期限を延ばすうえで欠かせません。 食材を無菌状態で、原料の状態で保存できます。 また、搭乗エリアの保管スペースも最小限に抑えられます。

微生物を使って栄養素を生産する

研究者は、空気中の成分と体内の老廃物を栄養素に変換するために、さまざまな種類のバクテリアを調査しています。 例えば、水素栄養細菌(水素をエネルギーとして代謝する単細胞の微生物)は、一種の発酵プロセスを通じて、宇宙飛行士の呼気中の二酸化炭素をタンパク質に変えることができます。 他の研究者は、パン酵母に近縁のYarrowia lipolyticaに人間の尿を与えると、脂質やプラスチックを生み出せることを発見し、自然の廃棄物を人間の健康に不可欠な栄養素に変える可能性を示しました。

包装済み食品

乾燥食品や冷凍食品は重要ですが、NASAでは新たな食品保存技術の新しいアプローチを模索しています。 例えば、加圧加熱殺菌と高周波滅菌により、包装済み食品の初期品質と栄養価が、より高いものにします。 また、研究者は食品の保存期間を5年まで延ばすために、より優れた包装方法を研究しています。

閉鎖循環系と宇宙農場

良好かつ安定的に栄養源を供給する素晴らしい選択肢として、宇宙船内の農場が重要となっています。 植物は、宇宙船内の廃水の再利用、酸素の生成、空気の浄化、排泄物の再利用などに用いることが可能なため、宇宙農園の存在は持続可能な環境づくりに役立ちます。 現在のところ、Veggieと呼ばれる宇宙庭園が存在します。 6種類の植物を育てることができ、実際にレタス、白菜、水菜、レッドロシアンケール、ジニアフラワーの栽培に成功しています。 これまで40年間に宇宙で栽培された植物の一覧は、こちらでご覧いただけます。

宇宙食研究の現実的な意義

この宇宙食分野における研究は、私達の食と地球との、より良い持続可能な関係につながります。 閉鎖型の温室や垂直農法は、必要な水と土地の量が少ないため、乾燥地、極地、遠隔地、人口密集地などで利用できます。 空気の成分を利用した食肉の生産により、家畜を減らし、土地と水の使用量を大幅に削減することが可能です。 宇宙食用に開発された高度な空気清浄機は、現在、食品の保存や手術室などで使用されています。

食品の3Dプリント技術は、地球上の食料不足を軽減する役割を果たすかもしれません。 3Dプリンターを使えば、どんな料理人より迅速かつ清潔に料理を作ることができ、さらに栄養価と食感もカスタマイズできます。 また、食用インクは、従来とは異なる食材の利用の幅を広げることも可能です。

このような技術すべてにより、消費者に近い場所で生産することで、輸送量、包装、流通、その他のコストを削減し、結果として環境フットプリントを減らすことができます。 継続的な宇宙探査の研究は、このように地球環境とその居住者である私たちにも恩恵を与え、地球の生態系を維持・保全するためのアイデアも与えてくれます。

生体直交化学:細胞内の糖の重要性を探る

Robert Bird , Information Scientist, CAS

Bioorthogonal chemistry glycan depiction

糖は、細胞内の正常な生理学的プロセスにとって極めて重要であるだけでなく、病理学的プロセスにおいても重要な役割を果たします。 バクテリアやウイルスなどは、糖を識別して宿主を感染させるということさえ行っています。 糖鎖生物学の分野は依然として分かりにくい研究テーマではあるものの、近年さまざまな分野の研究者から多くの関心を集めるようになっています。 このツールのひとつが生体直交化学です。これはタンパク質やペプチドと結合した炭水化物構造、グリカンのイメージングに利用できます(図1)。

最近、生体直交化学の分野を長年けん引してきたキャロリン・ベルトッジ氏の研究グループが、生体直交化学を用いて新しい生体分子である糖鎖RNAに関する驚くべき発見をしています。 ここでは、生体直交化学の世界とその応用について、特に糖鎖生物学の分野の前進にどう貢献したか、そして今後どのような機会が待ち受けているかについて詳しく説明します。

細胞表面受容体の細胞外ドメインに結合したグリカン。     
図1. グリカンが細胞表面受容体の細胞外ドメインと結合している。

生体直交化学とは

生体直交化学という用語は、長年この分野をけん引してきたベルトッジ氏の研究グループにより作られたものです。 生体直交化学とは、生体分子への影響や生化学的プロセスへの干渉を最小限に抑えながら、生物学的環境で発生させる一連の反応のことを指します。 生体直交化学のプロセスは、生体内で発生するのに必要とされるものと同じ厳格な条件の下行われます。

  • 反応は、生理環境の温度とpHで発生しなければならない。
  • 反応による生成物は、選択的かつ高収率で得られる必要があり、また水や内因性求核試薬、求電子試薬、還元剤または複雑な生物環境で見られる酸化体による影響を受けてはならない。
  • 反応は、低濃度でも迅速でなければならず、そして安定して反応生成物を生成する必要がある。
  • 反応には、生体系には自然に存在しない官能基が関係している必要がある。

生体直交化学の用途

CASコンテンツ・コレクションTMを使って、2010年から2020年までの生体直交化学の応用に関する出版動向を分析することができました(図2)。 その結果、2010年から2020年にかけて生体直交化学で最も利用されたのはイメージングであり、創薬と薬物送達がそれに続くことが分かりました。

生体直交化学の出版物の量、2010年~2020年
図2. 生体直交化学の出版物の量、2010年~2020年。* 挿絵は比較用の生体直交化学関連出版物の総量。


(* 2010年が初期基準点として選択されたのは、「生体直交化学」という用語が記載された文献が前年に比べて大幅に増加した最初の年であるため。 生体直交化学を意味する「bioorthogonal」または「bio-orthogonal」という用語を含む総文献数のうち、その約90%は2010年以降に公開されている。)


さらに、その出版物のうち最も多くなっているのは、タンパク質の生体直交化学関連です。これはその手法が現在最も確立されているためであると考えられます。なお、比較的新しいグリカン分野など、他の分野も着実に増加傾向にあります(図3)。

CASコンテンツ・コレクションにおける生体直交化学および特定の用途に関連する文献数、2010年~2020年
図3. CASコンテンツ・コレクションにおける生体直交化学および特定の用途に関連する文献数、2010年~2020年。 挿絵は、同期間における年間の生体直交化学関連の文献総数。

グリカンのイメージング

生体直交化学は、グリカンの構造や局在化そして生物学的機能を理解する上で不可欠なツールであることが証明されています。 グリカンは、細胞壁に一般的に見られるペプチドやタンパク質そして脂質などと結合したオリゴ糖で、そのため細胞型を選択的に視覚化するのに利用できます。 グリカンの代謝前駆体には、アジ化物や末端アルキンそして歪みアルキンなど、多くの生体直交機能が含まれます。 グリカンは、適切な生体直交パートナーを使用することで視覚化できます。たとえばアジ化物はホスフィン含有エステルやチオエステルをシュタウディンガーまたはトレースレス シュタウディンガー ライゲーションによって、また末端アルキンや歪みアルキンは、それぞれCuAACまたはSPAACを使用して識別されます。

糖鎖生物学を前進させる生体直交化学

これまでRNAは、グリコシル化の主要な標的ではありませんでした。 そんな中、代謝標識と生体直交化学のお陰で実現できた重要な最近の発見として「糖鎖RNA」があります。 ベルトッジ氏の研究グループを率いたライアンA.フリン博士は、一連の化学的そして生化学的アプローチを使うことで、保存されている小さなノンコーディングRNAがシアル化グリカンを保有していること、そしてそれら糖鎖RNAが培養細胞およびインビボの複数の細胞型および哺乳動物種に存在することを発見しました。

この発見では、クリック反応可能なアジド基で官能化された細胞または動物を前駆体糖で代謝的に標識するという戦略がとられました。 アジド糖は、細胞グリカンに組み込まれた後ビオチンプローブと生体直交反応させることが可能になり、濃縮や同定そして視覚化ができるようになります。 シアル酸のアジド標識前駆体である過アセチル化N-アジドアセチルマンノサミン(Ac4ManNAz)を使うと、標識細胞からの高度に精製されたRNA調製物はアジド反応性を示すことがわかりました。 糖鎖RNAの集合は、正準N-グリカン生合成機構に依存しており、その結果シアル酸とフコースが濃縮された構造になります。 生体細胞のさらなる分析により、糖鎖RNAの大部分が細胞表面に存在し、そこで抗dsRNA抗体およびSiglec受容体ファミリーのメンバーと相互作用することが明らかになっています。 糖鎖RNAの役割を調査するためには、さらなる研究が必要です。

生体直交化学のお陰で、RNA生物学と糖鎖生物学との間に直接的な関係性が確立され、今後もまだまだ数多くの発見が期待できます。

今後の生体直交化学の見通し

生体直交化学は、科学や医学に幅広く応用可能であり、また近年ではそれによってさまざまな研究が大きく前進しています。 糖鎖RNAの発見を通じてグリコシル化の分野を発展させたことに加え、薬物送達や薬剤標的でも応用が有望視されており、今後はその応用はさらに拡大していくものと見込まれています。 例としては、以下などが挙げられます。

  • 医薬品の原位置合成。生体直交化学は、より小さな前駆体から薬剤を合成する際に役立つ可能性があります。 必要に応じて必要な時に創薬することにより、薬剤の効果が高まり毒性を低く抑えられるようになります。また、それにより 薬理学的介入の範囲も拡大されるでしょう。
  • グリカンの標識化。葉酸リガンドを使うことで、アジド標識ガラクトサミンを含む脂質ナノ粒子が生成されています。 腫瘍組織において増加した葉酸受容体の存在により、LNPの内在化が起こり、続いて腫瘍細胞への積荷の放出が行われました。 腫瘍膜にアジド官能化ジベンゾシクロオクチンが組み込まれた結果、腫瘍細胞がヒト血清に曝露されると免疫応答を引き起こします。
  • クリック反応による放出。この方法では、生体直交化学を用いて薬物放出のタイミングと位置を制御し、選択的に標的細胞に対して毒性を投与する薬剤を作り出すことができます。

継続的な開発と反応に対する改良を続けることで、生体直交化学はさらなる研究のための重要なツールとなるでしょう。


生体直交化学とその幅広い用途の詳細については、Bioconjugate Chemistry の記事関連CAS Insights Reportを参照してください。

COVID-19およびコロナウィルスによる関連ヒト疾患のための治療薬やワクチンの研究や開発について

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SARS-CoV-2ウイルスによって発病する新型コロナウイルス疾患COVID-19の爆発的感染により、この疾患は急速に世界中へと広がっています。 科学者と医師は、新たな治療法を発見し、効果的な治療薬とワクチンを開発するために、この新型ウイルスと疾患の病態生理の理解に努めています。

現在行われている研究開発を支援するため、CASは、CASコンテンツコレクションにおける特許部分を強調した、公開科学情報の概要を提供する特別な報告書を作成しました。 これはコロナウイルスの感染と複製に関与する複合分子を標的とした、小分子と生物製剤に関する抗ウイルス戦略に焦点を当てているものです。 ここに記載されている薬剤のドラッグリパーパシング(既存薬再開発)では、SARS-CoVやMERS-CoV等、他のRNAウイルスに対する効果が認められている薬剤を主に扱います。 
 

COVID-19関連研究に関する出版物(毎週)


コロナウイルス関連の生物製剤の特許解析には、治療用抗体、サイトカイン、ウイルスの遺伝子発現を標的とする核酸ベースの治療法、各種のワクチンが含まれます。 500件以上の特許がコロナウイルス感染の治療と予防の可能性がある上記4種の生物製剤関連の治療法を公開しており、これらはCOVID-19にも適用できるかもしれません。 この報告書に記載されている情報は、この瞬間も進められている治療薬とワクチンの開発の知的基盤となる重要な情報を提供するものです。

ACE2という、疾病病因特定において潜在的に重要なレセプターを標的にする

Angela Zhou , Manager of Scientific Analysis and Insights, CAS

Targeting a Potentially Important Receptor in Disease Pathogenesis

近年、SARS-CoV-2ウイルスの受容体として注目されているアンジオテンシン変換酵素2(ACE2)タンパク質ですが、他の多くの疾患の治療標的としても有望な可能性を持っていることが、相次ぐ研究により明らかにされています。

ACE2とは

ACE2は人間細胞の細胞膜に存在する酵素領域を持つ膜タンパク質です。 このタンパク質は当初、アンジオテンシン変換酵素(ACE)のホモログ(または変異体)として特定されていたため、そのように命名されました。ACEはペプチドホルモンのアンジオテンシン I からアンジオテンシン II への変換を触媒する酵素です。 ACEは広く研究されており、(血管壁の筋肉収縮を促し、血管の内腔を狭める)血管収縮剤としてよく知られています。

現在はウイルス受容体であることがわかっているACE2は、血管拡張薬としても機能します。ACEと均衡をとり血管壁を弛緩させる働きがあるためです。 ACEとACE2は共に肺、心臓、腎臓など複数の臓器における血圧と血流を調整するレニン・アンジオテンシン系(RAS)で重要な役割を担っています。

 

アンジオテンシン変換酵素2(ACE2)の機能

レニン・アンジオテンシン系は図1で示すように酵素、ペプチドホルモン、受容体の複雑なネットワークを抱合します。 肝臓で分泌されるアンジオテンシン(Ang)前駆体であるアンギオテンシノゲンは、腎臓酵素レニンにより分割されアンジオテンシン I(Ang I)を生成します。 Ang Iは、ACEによりAng IIに転換されます。 8個のアミノ酸ホルモンペプチドであるAng IIは、微小血管の筋細胞表面にある1型アンジオテンシン受容体(AT1R)に結合し、血管収縮を引き起こします。 また、腎臓で塩分の再吸収も促します。 血管収縮と塩分再吸収は、どちらも血圧上昇の原因となります。 したがって、ACEの活性が異常に高くなると、Ang IIの量が上昇して高血圧を引き起こすことになります。

レニン・アンジオテンシン系
図1:血圧調整におけるレニン・アンジオテンシン系(RAS)とACE, 、ACE2、Ang II、Ang (1-7)、AT1R、MasR の役割

逆に、ACE2は8個のアミノ酸ペプチドであるAng IIを7個のアミノ酸ペプチド(Ang 1-7)に触媒します。異なる受容体であるMas受容体(MasR)上での作用を通じてAng IIに反対の効果を及ぼすようです。 血圧調整におけるAng 1-7の詳細な役割は完全には解明されていませんが、血圧を低下させ、血管拡張を誘因するというエビデンスは存在します。 さらに、ACE2はAng IをAng 1-9に分割するため、基質を取り除くことでACEの効果にさらなる均衡を維持していることも考えられます。 Ang IIからAng (1-7)、そしてAng IからAng 1-9に転換を発生させることで、ACE2は血管収縮と血管拡張のバランスを維持して血圧を適正範囲に収める上で重要な役割を担っている可能性があります。

ARS-CoV-2の感染におけるACE2の役割

COVID-19の爆発的感染が広がる現在、科学者はSARS-CoV-2ウイルスの理解、疾患の進行メカニズムの解明、治療の選択肢特定に努めています。 治療薬の標的として可能性のある遺伝子とタンパク質を特定するために、大規模な研究が実施されてきました。そして、パンデミックの初期に、SARS-CoV-2ウイルスの受容体としてACE2が重要な役割を果たす可能性があることが発見されました。

ACE2は、ARS-CoV-2ウイルスまたはSARS-CoVウイルスの表面にあるスパイクタンパク質(Sタンパク質)により認識可能です。 ACE2とSタンパク質は鍵と錠と同じように結合し、ウイルスが人細胞に侵入することになります(図2)。

コロナウイルスのタンパク質の相互作用
図2 コロナウイルスのSタンパク質と人細胞のACE2の相互作用の図(出典:ACS Cent. Sci. 2020, 6, 3, 315-331)

SARS-CoV-2ウイルスは、SARS(重症急性呼吸器症候群)を引き起こすSARS-CoVウイルスに酷似していますが、 Sタンパク質の受容体結合領域のいくつかの変異によりSARS-CoV-2ウイルスのACE2への結合親和性が大きく強化されています。 このような相違点がCOVID-19の高い感染力の土台となっている可能性があります。 肺、消化系、心臓、動脈、腎臓でACE2が発現しているエビデンスがあります。 ACE2の発現は年齢と共に上昇し、心疾患のある患者では高くなるため、これらの下位集団におけるCOVID-19の重症度の上昇を説明できるかもしれません。

COVID-19の治療におけるACE2タンパク質の相互作用

SARS-CoV-2の結合部位として機能し、宿主細胞へのウイルス侵入を媒介する際、ACE2単独では、このプロセスが生じない可能性があります。 ウイルスの侵入を促すプロセスには他の宿主酵素が関与しています。 プロテアーゼという酵素は、ACE2とSタンパク質の双方から断片を除去し、相互作用プロセスを強化する役割を担っています。 他の酵素は膜結合小胞に充填されたACE2-Sタンパク質複合体を改変し、宿主細胞へのウイルス侵入を促進します。 従って、ACE2およびそのSARS-CoV-2との相互作用、ならびにプロセスに関与する他のタンパク質がおそらく抗COVID-19薬剤の有効な標的となります。

ウイルスの結合において、ACE2の触媒領域がウイルスによって阻害され、基質、Ang IIへのアクセスが制限され、Ang IIの滞留を引き起こすと推測されています。 さらに、ウイルスの侵入で表面のACE2は細胞内部に入り込み、ACE2の酵素機能が低下する場合があります(図3)。 ACE2活性の低下の結果、Ang IIレベルが上昇する可能性がありますが、これはCOVID-19の患者で報告されています。 Ang IIレベルはウイルス量と肺の損傷に線形順相関を示しており、COVID-19の患者における組織のACE2減少作用と、RAS不均衡および臓器損傷の進行の直接的因果関係を示唆しています。 この結果を確認するには、さらなる研究が必要です。

ACE2接近不可能性
図3 SARS-CoV-2感染がACE2の基質へのアクセス不能および細胞へのACE2内在化にを引き起こし、血圧上昇と血管収縮をもたらす。

COVID-19の治療法の標的としてのACE2の可能性

SARS-CoV-2による宿主細胞侵入におけるACE2の重要な役割から、この機能におけるACE2の役割を阻害できる薬の開発がすすめられています。 現在のところ、この適用へのドラッグリパーパシングを通じて承認された小分子薬はありません。 しかし、最近開発された生物学的製剤がこの目標を達成する可能性があります。 この臨床薬ヒト組み換え可用性ACE2(hrsACE2)は、本来急性呼吸窮迫症候群(ARDS)用に開発されたものです。

hrsACE2は膜結合性断片を持たないため、人の細胞には結合しません。 しかし、おとり受容体としてSARS-CoV-2ウイルスと結合可能です。 コロナウイルスと競合的に結合することで、自然の基質結合ACE2とウイルスの結合を防ぎ、宿主細胞へのウイルス侵入を阻害することができます(図4)。 培養細胞と多様な原形質類器官における研究では、hrsACE2は宿主細胞のウイルスへの感染を阻害することが示されました。 また、 2017年の臨床試験において、ARDSの患者さんの血清Ang IIレベルの迅速な低下を誘因し、良好な忍容性も示しました。 願わくば、hrsACE2がACE2を標的とする最初の薬として、COVID-19と戦うための標的療法の道を開いてほしいものです。 心強いことに、hrsACE2は、SARS-CoV-2感染症におけるレムデシビルの有効性を向上させ、併用療法としての可能性を示しています

ACE2がSARS-CoV-2の結合を阻害
図4 IhrsACE2がSARS-CoV-2のACE2への結合を阻害して、つまりウイルスの宿主細胞への侵入を阻害する方法の図。

ACE2の今後の治療への応用

Covid-19以外にも、ACE2経路は、新型インフルエンザ(H1N1)や鳥インフルエンザ(H5N1)など、他の呼吸器疾患の治療に役立つ可能性を秘めており、AT1R阻害剤やACE阻害剤と併用する組み換え可用性ACE2を開発できる可能性があります。 循環器疾患もACE2が関心を集めている分野です。ACE2のような新しい標的は、高血圧などの病状で重要な役割を果たすRASの亢進を標的とした、より効果的な方法を見つけるのに役立つと考えられています。 また、ACE2が介在する経路を利用して、糖尿病性腎症における過剰なAng IIの作用を抑制するなど、2型糖尿病の治療においても重要な標的となる可能性があります。

新しい治療法の開発におけるRNAの新たな役割は、創薬の展望を変えつつあります。CASを利用して最先端を確保してください。 RNA治療薬の新たな展望に関するCAS Insights Reportをご覧ください。

COVID-19 診断のアッセイ技法と検査の開発

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COVID-19の大パンデミックで継続的に問題になっているのは、感染者でSARS-CoV-2と抗ウイルス抗体を検出できる、正確で効率的な診断テストの大規模実施の必要性です。 テストで軽症および無症候性の症例を検出できれば、ウイルスの水面下における拡散を防ぐ上で不可欠な手順である、早期診断と感染経路の特定が可能になります。 この必要性に対応する取り組みとして、世界中の研究者が非常に高精度かつ効率的で、コスト効率に優れた迅速で実施規模の拡大が容易な検査方法を開発しています。 数多くの診断テストを詳しく理解/比較できるように、CASはSARS-CoV-2の検出に使用される分子検定と血清学的検定の基本原則をまとめた特別報告書を作成しました。 この報告書では最近の検査技術の進歩に焦点を当て、200種類以上の現在利用可能な診断テストを概観しています。

SARS-CoV-2のRNAの早期診断に用いられる大部分のテストは 逆転写ポリメラーゼ連鎖反応(RT-PCR)に依存しています。しかし、有望な代替テスト手法として、等温核酸増幅検査(転写媒介増幅法とCRISPRベースの手法を含む)も存在しています。 SARS-CoV-2ウイルスの抗体ができた人を特定するには、血清学的テストが必要です。酵素結合免疫吸着測定法(ELISA法)、ラテラルフロー法などが含まれます。 迅速な研究により、検査精度の継続的な向上、テスト実施件数の増加、結果判定までの時間短縮、臨床現場即時検査の多様化などが同時進行しています。 このような進展は、世界中で検査を必要とする対象者の増大に合わせてテストの実施規模を拡大する上で、非常に重要です。  

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