クリックケミストリーと生体直交化学に関する主な洞察

CAS Science Team

Photo of Nobel Prize medal

2022年のノーベル化学賞は、クリックケミストリーと生体直交化学の発展に貢献したことで、キャロライン・R・ベルトッツィ氏、モルテン・メルダル氏、そしてK・バリー・シャープレス氏の3名に贈られました。 彼らの研究は、環境条件下または生物的条件下で分子を短時間で結合させる反応を表したものです。 この研究は応用範囲が広く、高分子や製薬からはじまり、生物学的メカニズムの研究や新しいバイオ医薬品の開発に至るまでさまざまな場面で使われてきました。


生体直交化学に関するCASのリソース:Insight Report、Bioconjugate Chemistryに掲載されたジャーナル論文生体直交化学における糖
の役割に関する記事


クリックケミストリーとは

クリックケミストリーは、断片をより複雑な構造に組み立てるための迅速そして特異的な一連の反応です。 クリックケミストリーという用語は、K・バリー・シャープレス教授が、酵素阻害剤を作るために酵素の活性部位に小さな分子を結合させることを思い描いて作った造語です。 同教授とメルダール教授の研究室では、アジドと末端アルキンのヒュースゲン環化で位置選択的な銅触媒を用いたものによる1,2,3-トリアゾールの合成を開発しました。 この方法は容易かつ信頼性が高いため、高分子や抗体、そして医薬品の調製に使用されてきました。 チオール-エン反応やSuFEx反応など、特に高分子への利用で他のクリック反応も開発されています。

CASデータベースに収載されている文献では、その約3万件で「クリックケミストリー」のコンセプトが用いられています。 CASデータベースにおいて「クリックケミストリー」に言及した最も古い文献は1999年(”Click chemistry: a concept for merging process and discovery chemistry” (with H. C. Kolb), Book of Abstracts, 217th ACS National Meeting, Anaheim, Calif., March 21-25 (1999), ORGN-105 Publisher: American Chemical Society, Washington, D.C)である一方、当グループによるアジド-アルキン環化付加反応に関する最も早い文献は2002年でした。 クリックケミストリーに関するシャープレス博士のグループの文献で最も引用されているのは、”Click chemistry: diverse chemical function from a few good reactions” で、11,000回以上引用されています。 

生体直交化学とは

生体直交化学(1990年代後半にキャロライン・ベルトッジ氏が初めて使用した用語)は、生物学的条件下(室温とそれに近い温度で水溶液中の、生体分子の存在下、しかも低濃度)で急速に起こる反応を記述したものです。 細胞内にはさまざまな官能基を持つ分子が多数存在しており、単一の官能基と選択的に行われる反応は、生体系の挙動を理解する上で有用であると考えられます。

キャロライン・ベルトッジ氏の研究グループは、生体系内の炭水化物の研究に用いるため、エステル置換トリアリールホスフィンとアジドのシュタウディンガー反応を最初に開発しました。 ただ、アジド・アルキン環化付加を室温の生物学的条件下で迅速に行うために必要な銅触媒は、細胞に対して毒性があります。 そこでベルトッジ氏の研究室では、1960年代初頭にウィッティングとクレブスが行った研究をもとに、歪環状アルキンの開発を行いました。 この環状アルキンは、無触媒かつ室温で歪み促進型アジド-アルキン付加環化(SPAAC)を起こすため、生細胞での利用が可能です。 SPAACは、生細胞内の生物学的プロセスを観察し、理解するうえで重要な役割を担っています。 その他、様々な生体直交反応が開発されています。  

CASデータベース内の約3,000件の文献で「生体直交化学」という用語が使用されていますが、その中で最も早期に言及があったのは、 ベルトッジ教授の研究室の博士課程の学生だったG. A. Lemieuxの博士論文でした。 ベルトッジ教授の研究室による生体直交反応の開発は、"From Mechanism to Mouse: A Tale of Two Bioorthogonal Reactions" で紹介されています。 生体直交反応の概要については、別のレビューで述べられていますが、これは生体直交化学を論じたベルトッジ研究グループの論文では2400回と、最も多く引用されています。

ノーベル賞受賞までの道のりとはどんなものなのか

生体直交化学は、この20年間で目覚ましく発展し、近年では、より広範囲に使用されるようになっています。 この分野で注目すべき進展や応用を、こちらの年表にまとめます。  

生体直交化学の開発年表
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さらに、CAS コンテンツコレクションを分析して、生体直交の用語の文献数の増加と生体直交化学の応用の増加を比較しました。

生体直交化学の文献トレンド
図2:CAS コンテンツコレクションに見られる生体直交化学の文献トレンド

これでわかるのは、2010年から2020年にかけて生体直交化学で最も利用されたのはイメージングであり、次いで製薬への応用であることです。 生体直交化学をラベリングに利用する方法は、創薬への利用とほぼ同じ文献数で報告されていますが、ラベリングは、それ例外では特徴付けることのできない多様な利用をも指している可能性があります。 また、メカニズム解析や質量分研究用のハイドロゲルまたは診断薬に生体直交化学を使用した文献数も同程度に存在しています。

生体直交化学の今後の可能性

これらのアプローチにより、イメージング、診断、薬物送達の分野は多大な変化を遂げましたが、さらに以下の分野でも大きなチャンスが存在しています。

  • 生物学的安定性を向上させた反応性の高いパートナー開発の探求、または触媒の必要性を排除(毒性の低減)することによる方法の簡素化
  • 複数のラベリングにより生物学的メカニズムの探求を容易にすることでより信頼性の高い診断薬の獲得
  • 光活性化学物質の改良により、生体へのダメージを最小限に抑え、生体のより深部からのイメージングの実現

これらの方法のお陰で、より簡単で信頼性の高い合成や、生物学的メカニズムに対するさらなる理解、そしてより効果的で選択的な治療法の開発が可能になりました。 その結果として、化学、生物学、医学の各分野における進歩が実現し、ほかの方法では不可能だったことが可能になったのです。 この分野での活動状況をまとめたものが以下にありますので、ご参照ください。過去のトレンドに基づき、生体直交化学の今後の可能性に焦点を当てています。CASのInsights Reportをダウンロードするか、または査読付きの文献でお読みください。

オミクロン変異株でますます必要性が増す多角的なCOVID-19ワクチン戦略

Jeffrey Smoot , Information Scientist, CAS

COVID Omicron variant illustration

最近、世界保健機関(WHO)は、懸念される新しいSARS-CoV-2変異株を分類しました。 オミクロン(B.11.539)と呼ばれるこの新しい変異株は、南アフリカの強力な遺伝子シークエンシング・ネットワークによって最初に特定され、WHOに報告されました。 この独特な変異株は、これまでで最も変異が大きく、同定された変異は50を超え、そのうち30を超える変異がスパイクタンパク質上にあります。

オミクロン変異株が懸念される理由

オミクロン変異株は、予備研究によって2019年に中国で最初に同定された元のウイルス株から大幅に進化したことが示されています。これはつまり、過去にCOVID-19に感染した人が再感染したり、または現行の第1世代ワクチンで獲得した免疫を回避したりできる可能性が高いことを意味しています。 こういった変異株は、パンデミックからの回復を世界的に大きく後退させ、多大な社会的および経済的影響をもたらす可能性があります。

オミクロン変異体が免疫回避や伝染性に関してワクチン接種済みの人にとってすら大きな懸念になる主な理由は、その構造にあります。 オミクロン株の複数の受容体結合ドメイン(RBD)およびN末端ドメイン(NTD)変異は中和抗体への耐性と関連しており、プロテアーゼ切断変異により、細胞侵入または伝達の増加が容易になることが予測されます。 実際、いくつかの研究ではこれらの変異が変異したSARS-CoV-2ウイルスを中和する免疫系の能力に影響を及ぼし、免疫の中和作用を10分の1にまで低下させる可能性があることが示されています。  

新しい変異株は当初南アフリカで発見されましたが、現在はオーストラリア、ヨーロッパ、カナダ、アジア、そしてつい最近では米国で症例が確認されています。 ただ、デルタ変異株の拡散に関する以前の経験に基づけば、オミクロン株はすでに世界中に拡散していると多くの専門家は考えています。 SARS-CoV-2の非スパイクタンパク質を標的とし、オミクロン株に対しても有効性があると考えられるナファモスタットやカモスタットメシレートなどの小分子薬はあるものの、現在および今後の変異体に向けて持続可能なワクチンを開発することは、パンデミックを終結させる上で極めて重要です。

スパイクタンパク質の役割

要約すると、第1世代のCOVID-19ワクチンの標的とされている重要な抗原は、下の図に示すようにSARS-CoV-2ウイルスのスパイクSタンパク質です。なぜなら、これはSARS-CoV-2ウイルスがヒト細胞へ侵入するを可能にするからです。 現行のmRNAワクチンは、Sタンパク質を抗原としてコードすることによって中和しています。

COVIDウイルスのスパイクタンパク質の図

SARS-CoV-2ウイルスは急速に進化したため、研究者は、Sタンパク質のみでワクチン設計に十分な抗原なのか見直しを迫られています。 パンデミックを抑えるため、ワクチンと治療という最初のポートフォリオが現在展開されている中、科学者は過去2年間で学んだこと、つまりSARS-CoV-2ウイルスに対する免疫応答やどの反応が防御免疫と相関するのか、そしてこれらの研究内容が第2世代のワクチンの生成にどのように関係するかなどを検討する必要が出てきています。そうすることで、絶えず変化するSタンパク質に対する標的化をさらに発展させるのか、あるいは違う標的へと移行するのかの判断をする必要があるのです。

持続的な免疫を得るまでの道のり

人間がどのように「防御免疫」を獲得するのかは、多くの要因により決定されます。特にSARS-CoV-2のような進化し変異するウイルスではなおさらです。 理想としては、侵入するウイルスやバクテリアなどを認識し、不活化できるような免疫反応を実現させたいところです。 防御免疫には、体液性免疫と細胞性免疫があります。 以下の表では、最近発表されたいくつかの研究で報告されたSARS-CoV-2に対する免疫反応を示しています。 感染後に生き延びた人のCOVID-19タンパク質に対する抗体とT細胞の反応は広範囲であるように見えますが、しかしそれは完全ではありません。 これらの反応は、主にウイルス構造タンパク質(Sタンパク質、核タンパク質、膜タンパク質)を対象としています。 これらの反応のサブセットによって防御免疫が獲得されている可能性があります。

 

  体液性免疫 細胞性免疫
タンパク質抗原 IgG* IgA* CD4 T細胞 CD8 T細胞 メモリーT細胞
3C様プロテアーゼ +   +    
Sタンパク質 + + + + +
核タンパク質 + + + + +
エンベロープ小膜タンパク質       +  
膜タンパク質 + + + +  
Orf3タンパク質 +   +    
Orf6タンパク質          
Orf7タンパク質 +        
付属たんぱく質7b +        
Orf8タンパク質 + +   +  
Orf10タンパク質          

*Sタンパク質に対する中和抗体を含む

Sタンパク質抗原はウイルスの表面を覆っているため、免疫系は見つけやすくなっています。つまり防御免疫にとって理想的な標的です。 ただし、上記の表に示されている体液性免疫反応および細胞性免疫反応の一部では、スパイクタンパク質以外のSARS-Cov-2抗原を標的としています。 こういった観察結果と、ウイルス変異体の出現やブレイクスルー感染などを鑑みると、単一の抗原(つまりSタンパク質)の免疫反応に焦点を合わせたワクチンでは、効果的なワクチンに必要な広範囲な免疫を獲得できない可能性があることが示唆されていると言えます。 これらのタイプの中和抗体は、多くの場合防御免疫反応にとって必要なものの一部ではあっても、永続的な免疫を確立するには十分ではありません。 他のSARS-CoV-2抗原に対する体液性反応や細胞性反応が、それ以外にも広範囲な防御免疫を提供するのかどうかは、さらなる研究が必要です。

持続的な免疫の獲得に関してインフルエンザワクチンから得られる教訓

SARS-CoV-2感染における防御免疫は完全に理解されていないとはいえ、インフルエンザウイルス(IAV)ワクチンに関する最近の研究からは、いくつかの有益な洞察が得られています。 IAVマトリックスタンパク質(M2e)または核タンパク質(NP)による免疫の場合は、どちらも防御免疫が得られます。 COVID-19ワクチンの研究者は、多様性に富むSARS-CoV-2 Sタンパク質と、ORF8など独自かつ保存されたSARS-CoV-2タンパク質の両方を標的にするよう試みるのも良いかもしれません。 ORF8タンパク質に関しては、現在性質不明であるものの、保存された抗原として新しい第2世代SARS-CoV-2ワクチンの標的となる可能性があります。

現在の臨床および前臨床ワクチンのうち、完全不活化ウイルス(IV)または生弱毒化ウイルス(LAV)を使用しているものが少数ながらあり、それらは免疫系に対し多種多様な抗原を提示しているはずです。 さらに少数の開発中マルチ抗原決定基/マルチ抗原ワクチンもありますが、臨床データが不足しています。 予備的研究では許容水準の防御免疫を獲得できることが示唆されている一方、中和抗体の減少の原因が明らかではないため、防御免疫をよりよく理解するためにはさらなる研究が必要です。

変異を続けるウイルスには新しい治療法が必要

Sタンパク質のみを標的とする現行のSARS-CoV-2ワクチンは、今後の抗ウイルス治療および次世代ワクチンの開発に向けた重要な最初のステップです。 その開発速度と有効性は前例のないものでした。 デルタ株のような新しい変異株でも、ワクチンは入院患者数と死亡者数を劇的に減らしたことをデータは示しています。 しかし、ウイルスの変異と進化が継続している中で、Sタンパク質を標的にするだけでは防御免疫には不十分かもしれません。 今後は、ウイルスの拡散を真に阻止する幅広い抗原を標的としたいくつかのタイプのワクチンと抗ウイルス療法を組み合わせるなど、より包括的なアプローチの登場が予測されています。

COVID-19関連の最新情報やリソースが必要な場合は、 COVID-19リソースページでCOVID-19の研究を加速させる独自の洞察や査読済みの出版物、そしてデータなどにアクセスできます。 また、CASブログを購読すると、最新情報や洞察を継続的に入手できます。是非ご購読ください。

Innovation Incubator に関するよくある質問

CAS Innovation Incubatorは、CASによる早期段階のサポートを通じて、貴組織の次のブレークスルーを加速できるよう設計されています。

新型コロナウイルス変異株BA.5とBA.2.75の出現で、マスク復活となるか

Rumiana Tenchov , Information Scientist, CAS

picture of surgical mask

マスクや個人防護具(PPE)については賛否両論がありますが、蔓延を遅らせる効果があることは証明されています。 現在、オミクロン変異株のBA.5とBA.2.75の感染が急増している中、マスク技術を向上させることが重要になってきます。 COVIDのパンデミックにより、マスクの開発と製造工程での欠陥が明らかになりました。 しかし、新たなウイルス変異株の感染拡大を抑制するには、マスクの技術革新が不可欠です。

マスクには改善できる要素がたくさんありますが、本記事では、ろ過性能と微生物除去性能の向上という新たに登場した科学に焦点を当てます。

知的財産と研究の急増

CAS コンテンツコレクション™ を見ると、世界中の学者がマスクの効果改善に注力していることがわかります。 フェイスマスクに関する文献は17,000件以上発表されており、その半数以上が過去2年間のものです(図1)。 注目すべきは、中国、米国、日本を筆頭に、特許出願件数が明らかに増加している点です(表1)。 

マスクに関する文献の年間発行件数を示すグラフ
図1. CAS コンテンツコレクションにおける2000年から2021年のフェイスマスク関連論文の年間件数(非特許文献には、学術論文を中心に、会議録、臨床試験、学位論文、書籍なども含まれます。)

表1. マスクの開発に関連する特許における上位出願国の分布

マスク特許の国別分布表

 

マスクは何を阻止しているのか

SARS-CoV-2の主な伝播媒体は呼吸器からの飛沫です。そして5μm未満の飛翔は、一般的にエアロゾルに分類されます。 SARS-CoV-2の主な伝播様式は、感染者からのエアロゾル粒子や飛沫の直接吸引です。 エアロゾルは空気中に浮遊し続け、感染拡大の主要因となっています。 このことからも、エアロゾルの拡散抑制の重要性は明確です。そこで、フェイスマスクがパンデミック抑制に重要であると認識されているのです。

現在のマスクのしくみ

家庭にある布を2枚重ねただけの最低限のマスクであっても、使用しないよりは効果的です。 300nm未満と300nm以上の粒子に対するろ過効率は、異なる種類の布を使用することで向上させることができます。 これは、綿による機械的なろ過と、絹などの素材で構成される別の層による静電ろ過の相乗効果によるものです(図2A)。  

布マスクの感染防御のしくみの図
図2A. 一般的な布素材を使った布製マスク 繊維を組み合わせると、ろ過効率が向上します。 機械的ろ過と静電ろ過を組み合わせると強力な効果が得られます。

COVID-19の感染拡大で最もよく使用された3層構造のサージカルマスクでは、3層の不織布から構成されています(図2B)。 マスクの3層の構造が相互に機能し、空気中の有害粒子から着用者を保護します。 外層は防水になっており、中間層が病原体をろ過し、そして内層は呼吸器飛沫を捕捉します。 不織布は安価で製造が容易なため、一般の方にも入手しやすくなっています。

3層式サージカルマスクの仕組みを説明した図
図2B:異なる機能を持つ不織布から作られた3層式サージカルマスク

マスクの改良に向けた新たな進展

新しい高分子材料や一部のポリスチレン、そしてポリカーボネートを使用することにより、以下の2つの領域でのマスクの改良が可能になりました。 

1.    フィルターの改善。素材の開発による細孔の細分化で、小粒子と病原体を捕捉・ろ過
2.    微生物除去能力の向上。コーティングや自浄作用の適用により、抗菌性能が向上

ろ過の改善

エアフィルター・マスクの有効性は、繊維径、膜厚、通気性によって左右されます。 現在の粒状物質フィルターは、ポリマー繊維やグラスファイバーでできており、さまざまな大きさの粒子を捕集することができます。 近年では、より表面積が大きく、より小さい新しいタイプの膜フィルターが開発されています。 これらのフィルターは、粒子の捕捉と空気抵抗を減らすのにより効率が良くなっています。

高分子ナノファイバー膜

繊維径をナノレベルまで小さくすると、表面積を大きくして粒子除去性能を向上させることができます。 透過性に優れ、高効率で軽量なナノファイバー膜の製造には、エレクトロスピニングが使用されます。 エレクトロスピニングによるナノファイバー膜は、いろいろな材料から数種類が作られています。 これらの膜は異なる表面特性を持っており、空気ろ過マスクに使用できます。

エレクトレット膜

静電エアフィルターは、引力距離が長いため、粒子捕捉の効果は受動膜よりも高くなっています。 エレクトレット膜の製造には、in situ帯電、コロナ帯電、そして摩擦帯電の3つの帯電技術が利用できます。 帯電増強剤には、ナノ粒子(ポリテトラフルオロエチレン、窒化ケイ素、ステアリン酸マグネシウムなど)が一般的に採用されます。 エレクトロスピニングによるin situ帯電技術では、それを使ったハイブリッドエレクトレットフィルターがいくつか開発されています。 例えば、ステアリン酸マグネシウムを含んだエレクトロスピニングによるポリエチレン/ポリプロピレン膜では、表面電位4.78kV、そしてろ過効率98.94%を示しています。  

摩擦帯電型ナノ発電機は、ナノファイバーエアフィルターによる効果的な微粒子除去のために発明されました。 摩擦帯電型ナノ発電機は、人の動きなどの機械的な動きからエネルギーを生成するもので、自己発電型のウェアラブルデバイスへの応用に適しています。  

摩擦帯電型ナノ発電機能を利用した自己発電型静電吸着マスクでは、粒子除去効率の大幅な向上が見られています。 これも、ナイロンとポリテトラフルオロエチレンの布を何層にも重ねたエアフィルターです。 マスクから粒子を除去する際も、高い効果を発揮します。

微生物除去性能の向上

フィルターは、物質を捕捉する一方、その表面にはバクテリア、ウイルス、カビなどの微生物が付着します。 そのため、抗菌性のあるエアフィルターが必要とされています。 現在までに、殺菌性を持たせるためにさまざまな抗菌剤が検討されてきました。 これらの抗菌剤には、天然物、金属ナノ粒子、金属有機構造体(MOF)、グラフェンなどがあります。 

天然抽出物の中には、含有するフラボノイドによって高い抗菌活性を示すものもあります。 ティーツリーオイル、オリーブエキス、グレープフルーツシード、クララなどの天然物を繊維状ポリマーフィルターの表面に噴霧することで、良好な抗菌作用が得られます。

新たな金属の応用

幅広い抗菌活性を示すものとして、金属ナノ粒子があります。 その殺菌作用のメカニズムは以下の通りです。 

1.    正電荷を持つナノ粒子が静電気引力により負電荷をもつ細菌細胞壁を引きよせます。その結果、細胞壁の破壊と浸透性の増加が起こります。
2.    金属イオンが活性酸素種(ROS)を発生させることで細胞にダメージを与え、酸化ストレスを引き起こします。 これにより細胞の機能が阻害され、最終的には細胞を死滅させます。

銀ナノ粒子には抗菌作用があるため、マスクの防疫効果を高めるためによく使用されます。 

酸化銅にはともに強力な殺菌特性があり、抗菌・抗ウィルス作用のある繊維製品などに配合されています。 銅ナノ粒子の主な作用機序は、酸化の際発生する活性酸素です。

グラフェンおよびそ誘導体は、その大きな表面積を活かして抗菌活性を高められることから、広く研究されてきました。 最近の研究では、グラフェン塗布された表面を利用することで表面温度を上昇させ、微生物を不活化できることが報告されています。 太陽光を照射すると、局所的に急激に熱が発生し、空中浮遊菌の90%以上が急速に死滅します。 こうすることにより、再利用可能な自己滅菌グラフェンマスクを提供できるようになります。

新たな浄化方法

光触媒酸化による空気浄化は、光で活性化した触媒が有機汚染物質と反応し酸化するプロセスです。 日光や人工の光を利用し、さまざまな大気汚染物質を無害なものに分解します。 

酸化チタン(TiO2)や酸化亜鉛(ZnO)ナノ粒子を含むマスクは、効果的なろ過機能を発揮しています。 ZnOナノ粒子でコーティングされたポリエステル生地で作られたマスクは、表面の細菌を98%減少させることが判明しています。

粒子と微生物を同時に除去する多機能エアフィルターの有効性も実証されています。 最近、Ag/ZnOナノロッドで包まれたPTFEナノファイバー膜が、大腸菌(E.coli)に対して優れた抗菌作用があることがわかりました。  

また、カーボンナノチューブと銀ナノ粒子を用いて、ナノチューブがフィルターの孔を埋めるようにしたエアフィルターもあります。 高表面積のカーボンナノチューブに銀ナノ粒子を担持させることで、抗菌効果を高めることができます。

金属有機構造体フィルター

金属有機構造体(MOF)は、有機多座配位子が配位した多孔性の結晶性物質です。 気孔率が高く、細孔径を調整できるため、優れたフィルターです。 

例えば、ゼオライト・イミダゾレートフレームワーク-8(ZIF-8)ナノ結晶をエレクトロスパンのポリイミド膜に組み込むと、フィルタのろ過効率が非常に高くなります。 MOFを用いたフィルターは、プラスチックメッシュや不織布など、さまざまな基材で製造できます。 粒子除去に有効なフィルターです。

今後の展望

オミクロン変異株BA.5やBA.2.75など、呼吸器系ウイルスの感染拡大を抑制するには、マスクが有効です。 将来的な感染拡大と変異株の登場を遅らせるには、マスクのろ過と微生物除去の新技術および進歩が重要になります。  

BA.5などCOVID-19の変異株に関する詳細、およびワクチン、治療法、マスクを用いた包括的なアプローチによって持続的な免疫を獲得する方法に関する詳細は、こちらのそれぞれの記事をお読みください。 

なぜオミクロンBA.5変異株はワクチンを回避できるのか

Janet Sasso , Information Scientist, CAS

depiction of spike protein region on a Covid virus

COVID-19の感染者が世界中で再び増加する中、米国で現在主流の株オミクロン亜系統のBA.5となっています。 COVID BA.5変異株は、変異を繰り返しながら拡散を拡大し、免疫を回避し続けています。最近の査読前の研究によると、再感染には大きな健康リスクがあり、そして新しい変異株は治療用モノクローナル抗体(mAb)の影響を受けにくい可能性があることが示されています。そこで本ブログでは、感染を増加させ、防御抗体を回避し、(再)感染率を高める主な変異について探ります。

変異は感染率を上昇させる

人体への侵入の際、鍵となるタンパク質はスパイクタンパク質です。そこで、多くのCOVIDワクチンがこれを標的とし、中和しています。しかし、オミクロンの変異株(BA2.12.1、BA.4、BA.5)のスパイクタンパク質による最近の変異は、感染を強化するような重大な変化が起きていることを示唆しています。   
 

BA.2.12.1、BA.4、BA.5のスパイクタンパク質の主な変異を示す図
図1. BA.2と比較した場合のBA.2.12.1、BA.4、BA.5におけるスパイクタンパク質の主な変異

図1に見られるように、これら3つの変異株は、受容体結合ドメイン(RBD)の一部を改変する、重要な変異を共有しています。 これは細胞と結合して感染を可能にするスパイクタンパク質の部分であり、また防御抗体の重要な標的でもあります。  

BA.4とBA.5に見られるF486V変異は、スパイクがウイルス受容体と結合する能力に支障をきたします。 それに対して、R493Q復帰変異は受容体結合を回復させるため、適応性も回復されます。

変異は治療に対する耐性を高める

変異には、ウイルスの拡散が早くなるものがある一方、現行の治療の効果が薄まる変異もあります。L452の変異では、ウイルスは細胞により密接に結合するため、ウイルスを遮断しようとする抗体に見つかりにくくなる場合があります。 研究者によればこのL452変異は、今年初めの大規模なオミクロン感染急増に対するCOVID-19ウイルスの反応だと考えています。BA.4とBA.5も、抗体結合部位を無効にし、結合親和性に変化をもたらしてきたN末端ドメイン(NTD)の変異(Del69-70)を有しています。 F486VとR493Qの変異も、抗体との結合による免疫を回避することに寄与し、その結果mAbの効果を低下させ、最終的に治療抵抗性を高めている可能性があります。  

ベブテロビマブ(CAS登録番号 2578319-11-4)は、BA.2.12.1、BA.4、またはBA.5感染症に対して臨床的に承認された唯一のmAbで、これらの新しい亜系統に対しても有効性は保たれています。ベブテロビマブは、ヒト免疫グロブリンG-1(バリアント)モノクローナル抗体です。

CAS SciFindernによる物質検索では、この治療薬には4つのタンパク質配列、449のアミノ酸からなる2つの同一の重鎖ポリペプチドと、215のアミノ酸からなる2つの同一の軽鎖ポリペプチドが含まれていることが分かります。 図2と図3に示すように、CAS SciFindernでその配列と変更箇所を確認することができます。

CAS SciFinderで見たベブテロビマブのタンパク質の配列表示の一部
図2. CAS SciFinderに掲載されているベブテロビマブ治療用抗体の重鎖タンパク質の配列情報。
ベブテロビマブのタンパク質配列で変更された領域を示すCAS SciFinderのスクリーンショット
図3. CAS SciFinderに掲載されているベブテロビマブ治療用抗体の配列の変更情報。

 

New England Journal of Medicineに最近発表された論文では、ワクチン接種と感染の両方により誘発される中和抗体を、BA.2.12.1、BA.4、BA.5の亜系統がいかに回避しているかが解明されています。 つまり、BA.4またはBA.5亜系統に対する中和抗体価は、また(より少ない度合いで)BA.2.12.1亜系統に対する抗体価も、以前のBA.1およびBA.2亜系統に対する抗体価より低くなっていることが示されているのです。この調査結果は、高頻度のワクチン接種や感染歴のある対象集団において、現在なぜBA.2.12.1、BA.4、BA.5変異株が急増しているのか、その背景を提供しています。

スパイクタンパク質の変異以外での特徴

BA.4とBA.5はスパイクの変異という点では同じですが、スパイクタンパク質外の変異については共通点と相違点があります。 これらの変異は、ウイルスの複製、感染率、治療抵抗性に影響を及ぼします。 BA.4とBA.5は、いずれも変異が2回分戻り、Orf6 D61とNSP4 L438という元のウイルスになっています。研究者は、これらの変異が複製に影響を及ぼしていると考えています。 Orf6 D61内在のタンパク質Orf6は、タンパク質や酵素、そしてさまざまなシグナルのダウンレギュレーションをすることで、ウイルスの複製を促進します。 NSP4 L438常駐タンパク質NSP4は、二重膜小胞の形成に関与しているため、これもウイルスの複製を促進している可能性があります。  

BA.4には、Orf7BのL11Fとヌクレオカプシド(N)タンパク質のP151Sという2つの変異がありますが、その影響は、Nタンパク質を検出する抗原検査ではまだ確定できていません。 Orf7BとNタンパク質の変異は、いずれも免疫回避に寄与していると考えられます。 また、Nタンパク質の変異も、ウイルスの安定性に影響し、その結果適応性が高まることが考えられます。 BA.5では膜(M)タンパク質でD3N変異が見られます。これは比較的珍しい変異です。 膜タンパク質は免疫抑制の役割を果たすとともに、ウイルスを取り囲むため、細胞への侵入や感染性を高めることに寄与していることが考えられます。  

ワクチンは入院の予防に効果的であることが証明される

現在のCOVID-19ワクチンは、症候性感染に対しては最小限の予防効果しかありません。これは、BA.5変異株が猛威を振るった6月と7月に、接種完了者と未接種者がほぼ同じ確率で感染したことを示すミネソタ州保健局のデータでも明らかになっています(図4)。 ところが、入院率を調べると、ワクチン未接種者の方が入院数が大幅に多く、その差は歴然です(図5)。   

現在のワクチンは、重篤な症状や入院、死亡に対しては十分な予防効果があります。 これらのワクチンで獲得した免疫は、患者の免疫系がウイルスと戦うのを助けるため、結果的に重症化や入院の可能性が低くなります。

COVIDワクチンとブレークスルー感染事例のデータ
図4:ワクチンとブレークスルー感染事例のデータ 、ミネソタ州保険局 https://www.health.state.mn.us/diseases/coronavirus/stats/vbt.html 
COVIDワクチンとブレークスルー感染入院事例のデータ
図5:ワクチンとブレークスルー感染入院事例のデータ、ミネソタ州保険局 出典: https://www.health.state.mn.us/diseases/coronavirus/stats/vbt.html 

New England Journal of Medicineに掲載された論文によると、現行のCOVIDワクチンは、BA.1およびBA.2変異株に対しても有効であることが述べられています。 この交差免疫は、パンデミック当初から認識されていました。 インフルエンザ、はしか、肺炎、小児まひのワクチンは、すべてSARS-CoV-2感染に対して、ある程度の予防効果を有していることを示唆する証拠があります。 メイヨー・クリニックによると、前の年に肺炎ワクチンを接種した人はCOVID-19の感染リスクが28%低下した一方、小児まひワクチンの接種を受けた人はCOVID-19感染リスクが43%低減したことが確認されています。

次のステップ - 今後の研究の方向性

ウイルスが世界中で変異し、進化し続けていく中、COVID-19のパンデミックが衰える兆しはありません。 しかし上記で示されるように、現在のワクチンは重症化、入院、そして死亡に対して依然として高い有効性を持っています。 ところが、COVID疲れにより、推奨されるブースター接種を受けない人が多くいます。 対象者であってもまだブースター接種を受けていない方は、できるだけ早く受けるようにするべきです。 また、密閉空間や人混みでは、引き続き高品質なマスクを着用することで、症候性感染症の抑制につながります。    

ファイザーとモデルナの両社は、新しいBA.1変異体をベースにしたワクチンを開発しており、2022年の秋季には米国で接種可能になる予定です。ただし、以前BA.1に感染したことがあっても、より新しい変異株に対する防御力は限られていることから、この種の第2世代ワクチンがどの程度有効なのかを疑問視する声もあります。 将来的には、ウイルスの蔓延を食い止めるためには、より幅広い抗原を標的とした抗ウイルス療法と、より新しいワクチン技術を組み合わせることが必要になるでしょう。   

COVID-19の標的を見据える

Junko Kato-Weinstein , Information Scientist, CAS

新型のSARS-CoV-2ウイルスによる疾患COVID-19は、世界中で数百万人に感染し、死亡例は数万人に上っています。COVID-19の治療薬としてレムデシビルファビピラビルが条件付きで認可されていますが、日々症例数が増加を続ける現在、COVID-19が患者に及ぼす症状と長期的な後遺症を軽減するためには追加のCOVID-19治療薬の登場が切望されています。

バイオアッセイデータにより有望な候補薬が明らかに

他のCOVID-19治療薬発見のために進められている継続的努力を支援するため、CASの科学者チームは、公開済みの科学的情報を解析し、そしてCOVID-19に関与するタンパク質とそれに対応する候補薬に注目した包括的な報告書を作成しました。 この報告書は最近ACS Pharmacology & Translational Scienceで公開されました。


COVID-19の標的タンパク質と関連候補薬の包括的なリスト、および関連バイオアッセイデータについては、CASのオープンアクセスの記事全文をご覧ください。


SARS-CoV-2の感染に不可欠なタンパク質を標的とする数多くの物質が特定され、関連する公開済みのバイオアッセイデータが解析されました。 図1は、SARS-CoV-2と関連ウイルスの感染に関わる個別のタンパク質に対する物質数を示したものです。 SARS-CoV-2と関連ウイルス間でこれらのタンパク質が示した活性と類似性から、これらの物質はCOVID-19の治療薬開発に向けて更なる調査が必要なことがわかります。

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図1: COVID-19やその他の関連ウイルスの感染に関わる特定ウイルスとヒトタンパク質で特定された候補物質の数。

 

タンパク質と薬の重要な関連性

どんな疾患でも効果的な薬の開発には、一般にタンパク質と薬の相互作用について詳細に理解することが求められます。そこではまず、創薬標的とも呼ばれる標的タンパク質、つまり疾患の進行に大きな役割を担うタンパク質が重要になってきます。 標的タンパク質の特定と検証は、創薬プロセスの第一歩で、これは一般に疾患の進行メカニズムの基礎研究から得られます。そしてそれに対して、今度は候補薬が重要です。 特定の標的タンパク質に対する候補薬の薬理学的特性は、多様な濃度における候補薬の生物学的影響を評価するバイオアッセイにより測定可能です。 一般的にバイオアッセイには、候補薬と標的タンパク質への結合、タンパク質活性の阻害レベル、そしてそういった阻害による生理学的反応の測定が含まれます。

COVID-19に関わる主なタンパク質と候補薬

COVID-19の出現以来、研究者は既にSARS-CoV-2感染プロセスに関わるウイルスタンパク質とヒトタンパク質を数多く特定してきました。 これらはすべて、創薬標的となる可能性がありますが、特に有望な8つをここでは取り上げました。 これらには5種類のウイルスタンパク質(スパイク(S)タンパク質、3CLpro、PLpro、ヘリカーゼおよびRNAポリメラーゼ(RdRp))および3種類のヒトタンパク質((ACE2、TMPRSS2およびフリン)があり、宿主細胞へのウイルス侵入の媒介あるいは宿主細胞内のウイルス複製サイクルで役割を担っています。 これらのタンパク質は図2で説明されており、その感染プロセスにおける役割は下表で解説しています。 また、表にはこれらのタンパク質の阻害し、COVID-19治療薬の可能性を検討されている化合物の例も停止しています。  

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図2. SARS-COV-2感染に関わる重要なウイルスタンパク質とヒトタンパク質、および選ばれた抑制物質。

 

主なタンパク質

ウイルス感染におけるタンパク質の役割

候補薬

Sタンパク質

ウイルスと宿主細胞の基質融合を可能にする、宿主細胞のヒトACE2受容体に結合するウイルス表面のタンパク質

EK1C4

ACE2受容体

Sタンパク質のヒト細胞表面受容体

 

TMPRSS2

ウイルス細胞膜融合を促進するSタンパク質を分割するヒト酵素

エンザルタミド 

3CLpro

ウイルスのポリタンパク質を分割して個別のタンパク質を放出させるウイルス酵素

GC376

PLpro

ウイルスのポリタンパク質を分割して個別のタンパク質を放出させるウイルス酵素

チオグアニン

ヘリカーゼ

ウイルスRNAを巻き戻すウイルスタンパク質

SSYA10-001

RdRp

ウイルスRNAの複製の媒介するウイルスタンパク質

EIDD-1931 

フリン

ウイルス細胞膜融合を促進するSタンパク質を分割するヒトタンパク質

オロキシリンA 

グローバルな科学コミュニティーの一員として、CASは所有するすべての資産とリソースを活用してCOVID-19と戦います。 科学的な洞察やオープンアクセスの化合物とSARのデータセット、および特別報告書など、その他のCAS COVID-19関連リソースもご利用ください。

Sci-Tech R&Dで収益性のあるデジタル変換への基盤を構築する

CAS Science Team

hero image for digital transformation white paper

人工知能。 機械学習。 ビッグデータ。 今後の10年間で大企業の70%はデジタル化による組織の変革を目指すものの、そのうち30%しか成功しないと予測されています*。

AIの過剰なブームを乗り越え、デジタル化した世界で発見を加速させるにはどうしたらいいのでしょうか。 デジタル化に関するCASの専門家から得た知識を活用して、データとデジタル変革の成功に向けた明確な道筋を見つけましょう。 CASのデータ分析専門家は、数十年間にわたり人間のインテリジェンスを活用してカスタムデータセットのモデリングを行い、知的財産と特許の分野を導き、企業にインテリジェンスを提供してきました。 弊社の予測分析と化学研究開発技術ソリューションをご覧になれば理解していただけます。

デジタル変換ホワイトペーパーのカバー

このCAS Insights Reportでは、数件のケーススタディを紹介しながら、成功するデジタル変革フレームワークを構築する際の課題と機会を明らかにするほか、実行可能なAIアナリティクスなども紹介します。

 

AIを使った医薬品開発テクノロジーの台頭

Janet Sasso , Information Scientist, CAS

人工知能 - 大きなビジネスチャンス

人工知能(AI)産業は、デジタル技術の最先端にあり、ビジネスを変革しています。2023年には、5,000億米ドルの価値を持つと推定されているほどの規模なのです。 しかし、その進歩は「人間と機械」の二極化という議論をしばしば引き起こしています。 ロボットが人から仕事を奪い、世界を支配することはあるのでしょうか。

IDCのレポートによると、2022年の世界のAI市場の支出は前年比19.6%増の4,328億ドルに達し、2023年には5,000億ドルの大台を突破する勢いだとしています。 IDCでは、AIサービスが年複利成長率(CAGR)22%と最速で支出が伸びると予測しており、また調査対象の全AIソフトウェアの中では、AIプラットフォームが最大の成長(CAGR 34.6%)になるともしています。

AIによる医薬品開発プロセス

現在では、医薬品の同定、検証、開発、そして臨床使用の承認には平均で10〜15年かかるのが標準的となっています。 新薬の発売には多数の課題があります。その中でも顕著なのが26億ドルと推定されるコストであり、しかも承認率はたったの12%でしかありません。

AIによる創薬の再発明

デジタル化に関しては、製薬業界は最先端研究の最前線にあります。そこでは、AIによってもたらされる薬剤設計での進歩がうまく活用されています。 AIはヒット化合物とリード化合物を認識でき、薬物構造設計を最適化しながら、創薬ターゲットの検証を迅速に行うことができます。

ある種のAIアルゴリズム(Nearest-Neighbor Classifiers、Radio Frequency (RF)、Extreme Learning Machines、Support-Vector Machines (SVM)、Deep Neural Networksなど)が合成可能性に基づく仮想創薬スクリーニングに用いられ、標的分子の物理化学特性、生物活性、毒性などをバイアスなく予測することができます。

AIによる薬剤設計は、タンパク質の3D構造を予測し、合成前に化合物の効果と安全性に関する重要な情報を提供することで、構造ベースの創薬に役立っています。 また、リガンドとタンパク質の相互作用を正確に予測するのにもAI手法が利用されており、それによって最終的には治療効果の向上が確保されるようになります。 AIによる創薬ターゲットの相互作用の予測は、ドラッグリパーパシング(既存薬再利用)や多重薬理の回避にも利用され、大幅なコスト削減をもたらす可能性を秘めています。

AIは、de novo分子設計で利用することでも役に立っています。これは、オンラインでの学習および学習済みデータの最適化を同時に実行できるのと、化合物に対して可能な合成経路を提案することで、素早いリード設計と開発につながるためです。

最後に、AIを活用したサーチソリューションなら、特許のエコシステム全体において、効率と特許品質両方を向上させる重要な役割を果たすこともできます。 複雑な先行技術調査の実施と精査ができるため、特許審査官は他の業務に時間を割り当てられるようになり、審査の遅延を抑えることができます。

人間と機械 - 共存は可能か

AI創薬プロセスには無数の応用があるとはいえ、創薬でAIを利用することには難点もあるため、そのプロセスには今後も人の手の介在が不可欠となります。 生成される予測の質は、アルゴリズムの設計に大きく依存しています。 また、AIにはアルゴリズムのバイアスも存在しており、よって科学者によるアルゴリズムの検証も不可欠です。 スーパーコンピューティングおよび高スループットスクリーニングのコストは下がってきてはいるものの、依然として相当な額になっています。

こういった課題に対する解決策のひとつとして、HITL (Human in the Loop) AIが期待されています。これは、AIとロボティックスの効率性と、研究者のインプットやアイデア、そして包括的な判断を組み合わせることで、時間とリソースを節約しながら、失敗を最小化するものです。 この取り組みはアステラス製薬でも採用されており、あるHITL手法では、ヒット化合物から医薬品候補化合物の獲得までの時間を、約70%短縮することが実証されています。 CASでは、AI設計による新薬としては初めてヒト臨床試験が行われる3つの候補に対して、その構造的新規性の評価を行いました。 最初の医薬品候補であるDSP-1181は、2020年初頭にExscientia社により報告されました。 その後、2つの医薬品候補(EXS21546とDSP-0038)も追加されているほか、他も控えています。Exscientia社以外にも、Insilico Medicine社、Schrodinger社など複数の企業がINDのための前臨床試験を実施しており、この大きなマイルストーンに向けて事態は急速に進展しています。 

AIによる医薬品開発が、治療法発見の最適化をもたらすという利点に対して、異論はないでしょう。AIは、革新的な科学的思考と組み合わせることで、技術の限界を押し上げるために活用することができるのです。 AIと化学の状勢についてより詳しく知るには、CAS Insightsレポートをお読みください

Breakthrough Therapy指定 - 構造の新規性がもたらす実社会での影響

Todd Wills , Managing Director, Consulting Services

米国FDAの2012年安全およびイノベーション法を通じて導入された画期的治療薬指定 (Breakthrough Therapy Designation: BTD) 制度は、まだ治療方法が存在しない重病または致死的な病気の治療に有望な新薬に対して、その開発と審査時間を短縮させるためのものです。Breakthrough Therapy指定の承認の道筋は、有効性に関する大きなエビデンスが求められる点で、その他の迅速開発プログラムとは大きく異なります。その代わり、治験依頼者は臨床開発期間中にFDAの実体的な関与や支援を受けることができます。Breakthrough Therapy指定ステータス獲得の主な要件として求められるのは、他に利用可能な治療方法と比較したとき、臨床的に有意なエンドポイントでの大幅な改善を示す予備的臨床エビデンスです。いったんBreakthrough Therapyとして指定されると、効率的な薬品開発プログラムに関するFDAによる集中的ガイダンスを受けるほか、開発と審査を迅速化するためのFDAによる組織的な取り組みをはじめ、裏付ける臨床データ次第では、市場化に向けた申請の逐次審査や優先的審査を受ける潜在的資格なども与えられます。    

Breakthrough Therapy指定というステータスの獲得は、製薬の研究開発をしている組織にとって、公衆衛生と商業的メリットの両面で大きな成果とみなされます。 データによると、Breakthrough Therapy指定された治験薬は、審査期間が短縮されるほか、Breakthrough Therapy指定ではない薬と比べて販売前の開発期間が合計で2~3年短くなっています。さらに、この指定を受けると、特定製品の臨床的成果に一定の信頼が得られ、その結果会社に大きな価値がもたらされます。 実際、公的に発表されたBreakthrough Therapy指定認可に関する弊社の分析結果では、市販されている製品がない株式公開企業の株は、Breakthrough Therapy指定発表の翌日に(通常見込まれる投資利益以上に)平均で6%上昇しています。

化学的新規性とBreakthrough Therapy指定との関連性

こういった大きなメリットがあるため、画期的治療薬指定は、誰もが求める、しかし取得が困難なステータスとなっています。 2022630日の時点で、FDAには合計1265件のBreakthrough Therapy指定の申請がありました。それに対し、BTD指定が承認された申請はわずか40%ほどに留まっています

特定の候補薬のBTDステータスは、最終的な承認を受けるまでFDAにより公開されることはありません。2013年から2019年にかけて、FDAの医薬品評価研究センター(CDER)により承認を受けた276件の新規治療薬(NTD)のうち、BTDステータスを獲得したのは73件(26%)に留まっています。うち、主流の薬剤様式は小分子のもので、これら画期的NTDのうち56%を占めています。こういったFDA指定の小分子画期的治療薬の大部分では、構造的に新しい新規分子化合物 (NME) のうち、それまでのFDA承認薬では未使用の形状や骨格が最低ひとつ含まれています。しかし、さまざまな種類の小分子薬の成功率を詳細に観察すると、興味深い事実が明らかになります。

CASによる最近の分析では、構造的に新規性のある小分子NTDは約10件中3件がBTDステータスを得ていますが、構造でない部分の新規性を持った小分子NTDでは10件中1件にすぎません。 つまり、 構造的に新規性のある薬は、FDAによるBreakthrough Therapy指定ステータスの認可を2倍以上受けやすいということを意味します。この差は、構造的な新規性の影響の大きさと、新薬候補発見のためには化学領域の限界を押し広げることの重要性を示しています。

イン・シリコが小分子薬イノベーションを加速化する

効率とイノベーションのバランスは、創薬における長年の課題です。製薬業界は、既存の治療方法より大幅に臨床的メリットのある新しい治療薬を開発することを常に求められているからです。 構造的に新規性のある小分子薬は、有望な新薬候補となる可能性が高いことが証明されています。 しかし、合成できる可能性のある有機分子の数は(分子量1000 Da未満で)10180と推定されている中、この膨大な化学空間を探索して構造的に新規性のある新薬を見つけるのは従来の実験的手法では現実的ではありません。

そんな中、イン・シリコの手法の進歩により、構造的に新規性のある分子を含んだ化学分野において、新しい生物学的関連領域の効率的な探索が推進されるようになってきています。多くの製薬会社が過去数年間に導入を試みてきたイン・シリコ手法のひとつが機械学習です。機械学習は候補薬分子の特性予測に利用でき、またその精度も益々向上しています。機械学習から得られる洞察のおかげで、より特性が適した薬物類似分子の合成を優先できるほか、広範囲な化学空間でより構造的に多様な候補分子プールを準備できるようになります。これらの構造的に多様性のある候補薬プールは、合成とアッセイが可能な、より優れた分子の選択肢を提供することで、構造的に新規性のある薬物類似分子を発見する確率を高めます。

創薬における機械学習の有効性を高める

創薬のために化学分野を広範囲に探索できるような強力な予測アルゴリズムを構築するには、高品質のトレーニングデータを使うことが鍵となります。 機械学習の方法として、公的なデータ、社内データ、専有データなど、多種多様な範囲の情報源を利用できます。ただし、この異種データの真の価値を引き出すためには、それを精選し解釈し、構造化そしてインデックス化する必要があります。 実際、データ科学者はアルゴリズムの処理に必要なデータを調達してクリーンアップするのに現在も38%の時間を費やしています。これはモデルの開発や結果の最適化に有効活用できる時間でもあるわけです。 したがって、分類学や意味論上のつながり、そしてデータ分類の豊富な経験を持つ専門家により収集されたデータセットが利用できることは、創薬のための機械学習で適切な成果を収める上で大きな影響力を持ちます。

同様に重要なのは、薬剤分子の構造を機械学習で受け入れやすくするようエンコードする際に使用する、分子の表現方法もしくは「分子フィンガープリント」です。 近年の研究では、フィンガープリントの最適化が予測モデルの精度に大きく影響することが明らかになっています。 実際、CASのデータ科学者が開発した新しい分子フィンガープリントにより、従来のMorganフィンガープリント手法を利用した同一アルゴリズムと比較して、予測精度が最大45%向上しました。 このように強化された分子フィンガープリントは、薬物類似分子の生物学的活性を予測する創薬コンサルティングプロジェクトで有望性を示しています。その結果、次世代の画期的治療薬の探索において、スクリーニングのために合成すべき分子を数を減らし、研究効率を高める役に立っています。


もし貴組織の知的財産の構造的新規性の分析や、デジタル研究開発イニシアチブの最適化にご関心がおありなら、 CASのカスタムサービスを是非ご検討ください。特化した技術や科学的な専門知識、そして比類のないコンテンツを、お客様独自のニーズに合わせてカスタマイズして提供します。


新しいトレンドでの知識ギャップを埋めるために、CASがどのように役に立つのか

CASを活用すれば、創薬において新しいアプローチが登場しても常に把握していられるようになります。 小分子は、構造的な新規性だけでなく、アンドラッガブルなタンパク質を標的とした新しいモードの発見に利用されています。 これにより、多くの治療領域で活性が期待できる新しい治療薬群が生み出されているのです。 最新のホワイトペーパーでは、分子接着剤の創薬状況、標的タンパク質分解、そして誘導接近などについての詳細を解説しています。是非お読みください。 

成功への長い道のり - 次世代mRNAワクチンに向かった改良

Yingzhu Li , Senior Information Scientist, CAS

mRNAワクチンのサクセスストーリー

メッセンジャーRNA(mRNA)ワクチンは多くの人に馴染みのあるコンセプトになりました。これは、mRNAワクチンがCOVID-19パンデミックの経過を大きく変え、数百万人の死亡を防ぐ役割を果たしたからです。 しかし、これは決して新たな発見だったわけではありません。 実際、mRNAの治療薬としての可能性は、1980年代にmRNAを脂肪滴を使って標的に送達することで、薬剤として利用できるのではとの仮説が立てられた時にさかのぼりますそれ以来、ジカ熱、狂犬病、インフルエンザ、サイトメガロウイルスなど、さまざまな病原体を標的としたmRNAワクチンが設計されています。以下の 図1では、細胞および抗体を介して免疫を誘導するmRNAワクチンの作用機序を概説しています。

mRNAワクチン
図1. mRNAワクチンの作用機序

宿主細胞で免疫反応を引き起こす抗原タンパク質を直接導入する従来型のワクチン手法とは異なり、mRNAワクチンでは疾患固有の抗原を符号化するmRNAを導入し、宿主細胞が持つタンパク質合成機構を活用することで、免疫反応を誘発する抗原生産させるという方法を取ります。 体内にこのような外部の抗原が生産されると、免疫系がこのウイルスの抗原を認識してそれを記憶します。そうすることで、将来同じ抗原を持った本当のウイルスに感染したときに、それに戦えるようになるわけです。


mRNAワクチンが体内の細胞を用いてCOVID-19への免疫を生じさせる仕組みについては、この動画をご覧ください。

 

mRNAワクチン - 長く困難な道のり

COVID-19に対抗するmRNAワクチン技術の応用が成功したのは、生化学者や免疫学者、そして発生生物学者の先駆的研究なくしては、あり得ませんでした。 ただし、成功への道のりは長く困難でした。何十年にもわたって成果が上がらず、技術に対しても論争が絶えなかったのです。 研究者は当初、その不安定性からmRNAの技術で苦労をしていました。これは後ほど、脂質ナノ粒子(LNP)の開発でほぼ克服されることになります。 mRNAをこの保護用の小さな脂肪の泡に封じ込めることで、そのmRNAは分解されずに細胞内の適切な場所に移動させることができるようになったのです。

mRNAワクチンは初期の研究では有望視されていました。ところが、ワクチンプラットフォームの最適化と規模拡大のためのコストが、大規模展開の大きな制約要因となっていました。 そういうこともあり、初期のmRNAワクチンの開発・実用化の試みは、製造上の問題から断念されました。これには、鳥インフルエンザワクチンなども含まれています。 ワクチン候補の多くはヒトを対象とした研究まで至らず、シャイアー社やノバルティス社など、mRNAワクチンのポートフォリオを売却してしまうところもありました。 企業は、この技術に経済的可能性を見いだせなかったのです。

COVID-19 mRNAワクチンの登場

COVID-19のパンデミックは、ワクチン開発に多大な影響を与えました。 いきなり、mRNAは新型コロナウイルスSARS-CoV-2用のワクチンとして、急速にそして首尾よく展開されたのです。 組織的な研究の取り組みを通じて、2種類のmRNAワクチン候補がCOVID-19対策として緊急承認されることになりました。 これらのワクチンには、従来型ワクチンに比べていくつか長所がありました。それには、以下が含まれています。

  • 安全上の利点があった。つまり、宿主細胞のゲノムに組み込む必要がなく、DNAとの相互作用もないため(したがって宿主に突然変異のリスクがないため)、ウイルス粒子の形成がなく、抗原の一時的発現もない(体内での持続性が制限される)。

COVID-19のパンデミックに世界中の科学者が一丸となって取り組んだ結果、mRNAワクチンの開発は加速され、初期の研究の妨げとなっていた課題を克服することができたのです。 今回のパンデミックから得た知識はワクチン技術の分野と、RNA手法を用いた未来のワクチン設計を生み出す研究において、たいへん価値があります。

mRNAワクチン開発パイプライン

COVID-19 mRNAワクチンの成功に後押しされ、約90のリード開発者が膨大な数の病原体に対するmRNAワクチン候補を開発しています。 モデルナ社だけでも、同社が開発しているmRNAワクチンには、ターゲットとしてEBウイルス、サイトメガロウイルス、季節性インフルエンザ、呼吸器合胞体ウイルスなどが並んでいます。 また、単純ヘルペスウイルス、多発性硬化症、がん、ヒト免疫不全ウイルスに対するmRNAワクチン開発の計画もあります。 mRNAベースの初のマラリアワクチンの臨床試験が今年開始される予定で、これは長年放置されてきた病気対策への希望となっています。 この技術の応用は、無限の可能性を秘めています。

開発パイプラインをちょっと見てみるだけで、修飾・非修飾・自己増幅型mRNAなど、さまざまな形式のmRNA技術が探求されていることがわかります。 LNPによるフォーミュレーションは、依然としてmRNAを標的へ送達する最も一般的な方法ですが、カチオン性ナノエマルジョンや高分子など、ほかの送達手段も検討されています。 これらの新しいフォーミュレーションのほうが安定性、効力、免疫原性、結合価において優位性をもたらすと開発者により考えてられているためです。 ただし、mRNAワクチン候補の約4分の3が前臨床/探索段階にあるため、これらの新技術が臨床試験でどのような結果をもたらすかわかるまでには、まだ数年かかります。

将来に向けたmRNAワクチンの最適化

ここ数年で、mRNAワクチンの分野は大きく進歩してきたとはいえ、プロセス開発上の課題はいくつか残っています。例えばプラスミドDNAの供給、in vitro転写とカプセル化プロセスの複雑さ、多様なmRNA不純物の特性、超低温保存の必要性、などです。

それに、その継続的なイノベーションの必要性を高めるその他の要因も存在します。例えば、ウイルス変異体の出現リスク(これはCOVID-19で実際に見られました)、SARS-CoV-2ワクチン接種者における高用量投与の必要性、投与後の注射部位反応、といった要因です。

安定性

安定性は重要な特性であるにもかかわらず、LNP-mRNAやタンパク質mRNA複合体などのmRNA製剤の安定性プロファイルを調査する研究は、mRNAの完全性に対する凍結乾燥の影響を調査した研究がいくつか存在する程度で、あとは最低限しか行われてきていません。 その他の手法には、mRNAの噴霧乾燥や lyosphere (溶媒圏、mRNAを凍結乾燥させた液滴)の生成などがあります。 この研究分野は、今後のmRNAワクチンの大規模実施には不可欠なものです。

コスト

前述したように、初期のmRNAワクチンの開発ではコストが大きな制約となっていました。そしてそれは今後も重要な検討事項となっていくでしょう。 現在では、比較的大量のRNAワクチンの製造に必要なため、時間とコストがかかるだけでなく、潜在的な副作用の可能性も高くなります(詳細は後述)。 さらに、超低温保管(-70°C)が必要なためコストがかかり、また流通やワクチン接種の拠点でも特殊な冷凍庫が必要なため、普段は設置されてない場所もあります。 ただし、mRNAワクチンに必要な製造インフラおよび原材料に投資することで、ワクチンのコストをいずれ引き下げることができると研究者は予測しています。

少用量化

RNA低用量化に伴う課題を克服するひとつの方法として、自己増幅型RNAを使用することが挙げられます。 
それは、構造的にRNAに類似していて、ただサイズは大きいもののレプリカーゼをコードしてあるので、細胞内に送達されると元のRNA鎖の増幅を行います。 その結果、最小限のRNAの用量でタンパク質の収率が大幅に向上し、コストと効率の面でさらなるメリットがもたらされます。 ただし、潜在的な課題として、その分子のサイズと、そのために起きる送達時における影響があります。

mRNAワクチンは長年使用されてきましたが、グローバルなパンデミックが起こるまで、その臨床的な可能性は未開拓のままでした。 ところがこの数年で、この領域は大幅に進歩しました。 今後、新世代のmRNAワクチンを製造するために何が必要かということを考えると、何が優先されるべきかは明らかです。 今後も、この領域での進展が注目されます。

mRNAワクチン以外の治療

mRNAワクチン以外のRNA由来治療法についてより深く理解するには、弊社のInsights Report、『RNA由来の医薬品 - その研究トレンドと開発の考察』をご覧ください。RNAの医療への応用をはじめ、化学修飾やナノテクノロジーによっていかにRNA医薬品の送達と有効性が強化されるか、といったことなどについて解説されています。

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